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元和4年(1618)に松倉重政が島原城の築城を開始。
しかし 築城のための課役、キリシタン弾圧、過酷な年貢などが要因となり
農民たちが天草・島原一揆を起こす。 原城に立て籠った一揆勢は鎮圧されたが
一揆を抑えられなかった責任を取らされて 松倉氏は断絶。
城は南から北へ本丸、二ノ丸、三ノ丸が並ぶ連郭式の縄張りでした。
明治になって城は民間に払い下げられて建物は解体されたが、
明治35年(1960)に西三重櫓を再建したのを皮切りに、
天守、巽三重櫓、丑寅三重櫓が順次再建され
本丸の景観が蘇りました。
昭和39年(1964)に五重五階の天守閣が再建。
最上重を除いて 破風が全くない典型的な層塔型天守でした。
日本100名城はこれで 64となりました。
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