昭和45年、大阪で万国博覧会が開催されていました。「人類の進歩と調和」がテーマでした。事前に費用を積み立てるなどして、多くの人たちが会場を訪れました。私は高校2年生、翌年の大学受験を控えて、なんとも不完全燃焼の日々を過ごしていました。
そんなころに出会ったのが登山です。まずは入門書、横山厚夫さんの「登山読本」を何度も読み直しました。横山さんのお考えには共鳴させられるところが多く、50年近くたった今でも、行動の基本になっています。
小学校以来の友人が計画をたて、まずは丹沢三峰の縦走をしました。今のように、ヤマビルに悩まされることはありませんでした。そして夏休み、万博行きはパスして、友人3人で八ヶ岳縦走をすることになりました。いわゆる本格的登山です。
横山さんの著書から、夜行列車は避け、特急、急行の指定席を利用することにしました。当時、みどりの窓口は最寄りの駅にはなく、早朝の電車で15分ほどかけて申し込みに行きました。首尾よく、行きも帰りも指定券をゲットできました。
出発は8月10日ころだったと思います。八王子から、あずさ号に乗車です。新宿8時ちょうどの「あずさ2号」でした。狩人が歌ってヒットするのは、その少しあとです。現在この列車は、「スーパーあずさ5号」という名称になっています。
茅野からバスで美濃戸口まで数十分、乗り物酔いが気になるころでした。少し歩いて柳川を渡り、北沢から赤岳鉱泉を目指します。どういうわけか、増水時の高巻き道に入ってしまい、ずいぶん苦しい思いをしました。
この山行の形式は、小屋泊まり2食付きでしたが、米持参だと少し安くなるということで、多めに3合くらい持っていきました。小屋の説明ではこれでは足りないとのこと(4合か5合持参)で、ちょっと面喰いましたが、まあ勘弁してくれました。晩ご飯はカレーライス、今とは大きな違いです。
翌朝の朝食は4時半ころ、日が昇る前に出発することができました。中山乗越から行者小屋を経て、中岳道を登って中岳のコルです。こんなところから富士山が見えるなんて、大興奮でした。ここは長野県ではありますが、山梨県のすぐとなりであり、見えるのは当たり前のことですが、神奈川県在住の私たちにとっての富士山は、あくまでの駿河の山なのです。
最初のピークが阿弥陀岳。わずか20分ほどの登りですが、その急傾斜には度肝を抜かれました。頂上から、南北・中央アルプスが良く見えていましたが、それが何という名前なのか、まったくわからなかったし、同定しようとも思いませんでした。
中岳を越えて、竜頭峰から赤岳南峰、そして頂上小屋のある北峰へ。ガイドブックには、南北の間は一投足となっていましたが、いったいどれほど離れているのかわかりませんでした。2〜3分ですね。
天望荘(当時は赤岳石室)から横岳の縦走には緊張させられました。ガイドブックでは、北から南下するようになっており、私たちは北上なのでイメージがわきません。何か所か道迷いの危険があるとのことでしたが、岩場を夢中で通過し、気がつけば横岳は終わっていました。
硫黄岳に登り返したのがお昼すぎでしょうか、次第にガスが沸いてきました。夏沢峠から西へ、この日の宿はオーレン小屋です。夕方はひどい雷雨でした(小屋の中にいたので、怖い思いをしたわけではありません)。この日の晩ご飯もカレーライス。
あとで考えると、昨晩の雷雨は単純な熱雷でなく、界雷であったようです。寒気の侵入で、翌朝は濃霧でした。オーレン小屋から直接箕冠山へ。ここまでは樹林だったため、強風には気づきませんでした。
頂上から北へ数分、樹木が途切れると、経験したことのない強風です。根石岳山荘のあるあたりは鞍部なので、風が強いのは当たり前。もう少し先に行けば、何てことのなかったのでしょう。しかしここは初心者、これ以上進むのは危険だ、ここは撤退するのも勇気だ、なんて頭でっかちな判断。くるりと回れ右、箕冠山から夏沢峠へとひたすら下りです。
当初の計画では、天狗岳を越えて、中山峠からみどり池、稲子湯でした。しかし、主峰のピークも踏んだし、横岳の危ない稜線も踏破したし、もう十分お腹いっぱいです。危険を犯さずに、撤退するのが賢明、ずいぶん幼い判断ですね。
本沢温泉の先、みどり池に行く道もあるのですが、若干の登りです。里心のついた私たちは、もう登り返す気力なく、ひたすら松原湖を目指すことにしたのです。途中から林道となり、本沢温泉から3時間くらいかかったかと思います。今ならうんざりする林道歩きですが、初心者の私たちにとっては、すべて新鮮に感じられました。
大幅なコースカットなので、当然時間があまり、松原湖でボート遊びなどで時間をつぶし、バスで小海駅へ。夕方の小海線で小淵沢、ここから指定券のある急行アルプス号で八王子へ。たぶん夜の8時ころ、乗り換えのためにホームに下りると、ものすごい湿気と熱風。これまでずっと長野・山梨県にいて、冷房の効いた電車に乗っていたため、すっかり忘れていました。
海辺の平野の町で暮らしていたため、空気は塩気の混じった生ぬるいものとの認識でした。これを、八王子のホームの熱風で思い出されました。長野方面の高原の、乾燥した涼しい空気って、なんて素晴らしいのでしょう。この時感じた空気の落差、これがその後何十年も登山を続けることになった、最大の要因なのだろうと思います。
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