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▽社会人4年目の夏。先輩に誘われて、小さな山岳会に参加した。転勤族にとり、職場や地域を越えて楽しめる場があるのは素敵なことだ。貰った称号は"山のカメラマン"。
▽初めて一眼レフを手にしたのは、卒業旅行のボリビアだっただろうか。見える全てが天空のような雨季のウユニをより美しく収めるべく、なけなしのバイト代をカメラ機材に注ぎ込んだ。
▽当時のカメラは、楽しかった思い出を反芻するためのものだった。撮った写真を見返せば、切り取られたその瞬間をきっかけに、周辺の記憶がぱっと、鮮やかに蘇える。褪せてゆく記憶を心に刻んでおくのも大事だけれど、思い出をより鮮明に残しておきたくて、とにかく沢山シャッターを切った。写真とは人と共有するよりも、ただ備忘録としてある感覚だった。
▽写真のもう一つの力。それを知ったのは、カメラの得意な友人と旅をしたときだ。同じ時間に、同じものを見たはずの友人のカメラには、それらの思い出が別物のように魅力的に収められていた。同じ世界の捉え方が、自分とは全く違う。たった1枚の写真から、いくつ言葉を重ねても知りえなかった友人の内面までじんわりと伝わってくる。そしてそれを感じた後からは、これまでと同じはずの風景が、僕にも違って見えてくるから面白い。
▽観光地のような分かりやすい映えスポットは少ない山。そんな所でわざわざ重くて邪魔なカメラを取り出すのは、そこで見た何かが特に、撮り手の琴線に触れたから。写真そのものは単に被写体の''記録''でも、意志を持って切り取られたその画には、撮り手の目線や人柄が強く滲んでいる。そんな写真を見ていると、知っているはずの山や撮り手の、新たな一面を知れた気がして嬉しい。
▽写真は自己表現の手段になるのか。画には大抵、自分自身は写っていない。言葉と違い、大半はカメラと被写体任せだし、文章と違い、1秒で稚拙な所がバレてしまう。ともすれば、そこに自己を含もうとすること自体、見る人の邪魔になることもある。写真は自己表現の手段としては、相応しくないのかもしれない。それでも、ファインダー越しに被写体の魅力や己の想いを上手に表現できたとき。それは備忘録を超えて、自分にしか撮れない1枚になるのだと思う。
▽桜台山岳会。メンバーは一様に山が好きだけれど、登山の目的や興味の方向は少しずつ違う。そしてそれは、全てを言葉で言い表せるものではなく、不変のものでもないのだろう。
▽あくまで主役は山登り。でもそれにちょっとプラスして、"山のカメラマン"の立ち位置から自然やメンバー、自分の魅力も表現できたら、さらに楽しみが増えるかもしれない。偶然に貰えたこの良縁を、この先も永く大切にしていきたい。
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