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でも、アイツは死んだ。登攀後の下山中、雪稜から落ちてあっさりと。2014年3月27日のことだった。
とにかく山が好きなヤツだった。知り合った時はまだ、大手企業に勤めながら山を楽しんでいた。「両神山の岩場が楽しい」と話す、そんなレベルだった。
「もっと山に登りたい」とアイツは会社を辞め、山小屋で働くようになった。登山技術も経験も、飛躍的に上昇した。オレとのレベル差も一気に広がった。オレには登れない山、苦手とする岩を軽々と登るようになった。
差が開くことは悔しく無かった。むしろ嬉しかった。
「やんまぁさんは友達じゃなくて親友です!」
そんな言葉の定義などどうでも良い…と思いながらも、わざわざそう口に出すアイツの笑顔に惹かれていたし、応援していた。
一方で、背伸びしすぎて実力以上の山・ルートにチャレンジすることに対して、心配してくださる先輩方も居た。実際に、海外までソロで登りに行って落っこちて、九死に一生を得た…なんてこともあった。本人なりにショックを受けたり思うことがあったようで、帰国してもしばらく会ってくれなかった。
少しは謙虚になったのか、先輩方が見るに見かねて手を差し伸べてくださったのか、世界的にも有名なクライマーの方々が一緒に登ってくださったり、指導してくださるようになった。ピオレドール・アジアの受賞は驚いたし、組んでくださった大先輩に感謝しろよ、と思った。お祝いは池袋の中華料理屋で。めちゃ辛くて口から火が出そうだった。
アイツが働く山小屋にはよく通った。小屋の仕事が終わる時間を見計らってテントを出て、小屋前や玄関で何時間も話をした。冬の赤岳鉱泉は酷寒だった。「寒い、って言ったら負けですからね」と意味不明のルールを課せられつつ、震えながらも、それでも話は尽きなかった。山の話が9割以上、友人や気になる女の子の話はたまに出るか出ないか程度だった。楽しい時間だった。
「やんまぁさんのこと、好きです」と唐突に言われた。仲が良すぎて、周りからは「こいつら付き合ってるのか…?」と思われて(言われて)いたことは知っていたけど、そういう意味ではなかった。「海外の山に登りたいと言う人は多いけど、言うだけで動かない人が多い」「自分で計画して実行に移してる、そういうの好きです」ということだった。オレは欲求に忠実なだけで大したことはしてないので、本人が情熱を持って取り組んでることに対して、周りからの軽口に不満を感じてるのかな、と思った。
「デナリ、行きますよね?一緒に行きましょうよ!アラスカでクライミングしたいんですよ!フォーレイカーに登りたいです!」と目をキラキラさせていたのは忘れない。「デナリはともかくフォーレイカーは登れる気がしないぞ」と言うと、笑いながら「リードはオレに任せてください、でも荷揚げは任せます」と。
登攀技術じゃなくて体力をあてにしてるのは正しいな、じゃあ計画するか。入山手続きやセスナの手配はオレがやるから、ギアの調達は任せるね、と話を進めた。2人での初めての海外遠征計画だった。それがアラスカなのは最高に嬉しかった。真っ白な氷河から5000m峰、6000m峰を見上げる2人を想像した。
これが最後の登山計画になるとは思わなかった。
デナリには独りで登った。枠が1つ空いたわけだけど、アイツの代わりなど存在しなかった。入山申請はソロで出し直した。理由はそのまま、パートナーが死んだから、と書いた。ルートはカシンリッジからウエストバットレスに変更した。カシンリッジをソロで登るには不安が残るし、安全マージンを極大化したかった。
氷河の上を一人で引くソリはとても重かった。バイルやロープ、ガチャなど、フォーレイカーで使う予定だったクライミングギアを大量に持ち込んでいた。デナリだけなら使わないのは分かっていた。でも、ソリに乗せて引いた。ただの重りであり、登高ペースが落ちることは想定していた。でも、アイツのクライミングギアを持ってきてやりたかった。
登山計画を話すと山頂で待ち伏せされ、大声で名前を呼ばれることが何度もあった。他の登山者もたくさんいるし、かなり恥ずかしかった。ここでもそんなことが起きないだろうか、起きれば良いな、と思っていた。「デナリ登れましたね!高所順応も済んだし、次はフォーレイカーです!」と笑ってほしかった。
そんなことを期待して、クライミングギアを引いて行った。
そんなことがあり得ないのは、分かっていた。
デナリの山頂には、誰も居なかった。
デナリ山頂からメディカルキャンプに下降するとき、夕陽に照らされたフォーレイカーが眼前にあった。美しかった。あれに登りたかったんだろう?死んだら登れないじゃないか。本当にバカだなオマエは、と悪態を吐きながら岩稜を降りた。子供のように「ばーか!ばーか!」と叫びながら降りた。遥か彼方の氷河の向こうに、夕陽が落ちていった。
山で死んではいけない。次の山に登るために。
山で死んではいけない。帰りを待つ人のために。