あなたにとって理想の町とはと聞かれた際にどう答えようかなと思い浮かべたとき、
私は徒歩か自転車で行ける圏内に古本屋がある町と答えると思う。
もう少し厳密に言うならばふらりと寄った時、あるいは人生に思い悩んだ時にピンとくる本に必ず出合える古本屋がある町である。そんな本屋が札幌に住んでいた時にはあったのだが函館に移ってからなくなり、今住んでいる福岡の某町にもなかったのだが、最近ようやく出会うことができたのである。
その理想の本屋は天神にあった。
この九州一の繁華街におよそ古本屋を求めて徘徊する輩などそうそうおりますまい。とうの昔にそんな日陰者の集うアングラ闇営業待ったなしの不良債権店舗など淘汰されているだろうと思っていた。
しかし、やはり人口密度は正義、ハイソなウィンドウショップの端の端にその場所は鎮座していたのである。諸君、考えてみたまえ。こんなキラキラねーちゃんと入れ墨アニキであふれる街で「うちは豆電球で、夜は竈に火をおこしながら天神の町に煙をおこして過ごしとるとね」といった趣の店に出会えるなど想像できるだろうか。
このちゃんちゃらおかしい暑さの中、私はその黴臭そうな、だからこそ私のような日陰者が吸引されてしまう不思議な縦長ビルディングに陰気な涼を求めて入店した。
入店した瞬間、私は確信した。「ここにあったのか、おれの理想の古本屋が!」
左には小田実の「なんでも見てやろう」もあったし、右を向けばよくわからんキューブリックの映画論的なA4冊子が地獄の魑魅魍魎のごとく鎮座していたのである。
おもわず万歳!を叫びたくなったが、いやいや慌てるのは早いと思いとどまった。旅行やバイトで各所へ行くたびにその土地の古本屋を巡ってきたが、この熱烈歓迎を受けた後に幾度も手痛いしっぺ返しを受けてきたではないか、と。
大切なのは直観である。この情報社会において、調べて興味のある本をぽちっとするのはいたって簡単だ。そんなものは私の好意にしているサイト「日本の古本屋」と「もったいない本舗」で十分である。
わたしにとって古本屋で大事なのはただ2点である。
1点目は過去の思い出せないくらい遠い記憶の作者名や題名がふと鮮明に思い浮かんでくること(並んでいる本や立ち読みしている本がそうでなくとも)、2点目はふと見たときに過去に読んだ人の何かしらの足跡が残っている本に出合えることである。
1点目は思い出そうとしてもこのスカスカの脳では無理なのでおいておくとして、2点目である。この点にはいくつか例がある。
私は東京に用があるときに、なるべく浅草で落語をみることと東京各店舗の登山用品店へ行くこと、そして神保町の某有名登山専門の古本屋に立ちよることにしている。
その神保町の古本屋には「登山関係の古い本ならある程度とりそろえてまっせ、ぐふふ」(勝手な妄想)といった品ぞろえで様々な古本があるのだが、やはり売る方も登山者、親切にも琴線に触れる箇所にはきちんと印や、その傍に年号やページに折り目、またある時には巻末に「昭和XX年、うんたらの事由によりこの本を放出さる」といった謎の文言があるのである。そして、時にはわが部の部報があり、ご丁寧に献本か何かの署名まで残されていたりする。これはこれで泣けてくるのだが。
こういった本に出合うと、理由はどうあれまず感動する。前の読者はなぜここに線をひいたのだろう、この年号って登山界では何があったんだろうといったふとした思いに駆られるのだ。この古本ならではの感慨と匿名の彼方の広がりや感じ方は、私にとって登山で感じる同質の喜びである。
以前、ある作家のエッセイでこれだけ知識がある人の家に行ったらどれだけ家に本があるのだろうと気構えていったら、その家には一切本が置いていなかったという文を読んだことがある。確かにそれはひとつの理想としてありうるし、その彼だけではなく読書家にとっての理想の生き方を表す一つの象徴でありうるのかもしれない。
しかし、やはり市井であろう、と思わずにいられない。私は同じ市井として、過去にいたであろう、未来に期待し現在に思い悩んだ先人と同じ書物をもっている今に思いを馳せるのだ。そしてそういう本に出合えるのが好きである。
しかし、こんないい本屋に出合えたからと言って理想の町として天神をあげることは、まずないだろう。そもそも電車圏内であるのはおいといて、ふらりとよったり思い悩むときに歩くような街でもないしなにより人が多すぎるのである。
そしてやはり、理想の町というのは私にとってありえないのではないだろうかという気がしてくる。この福岡にですら、天神という人外大魔境に足を踏み入れないと古本屋に対する要求を満たすことはできないのだ。
そのような町にこれから先出会える気はしないのだが、さらに付け加えるならばその代わりとなる人間図書館にも出会える気はしない。
いや、いるにはいるだろうがそういう場合は後々高くつくことが明白なのである。
私も街の古本屋は好きです
大阪にも素敵な古本屋がいくつかあります(現在もあるか不明)
でもそれではなくて、ある博物館でのバザーで手に入れた本が秀逸でした。
六尺テーブルに段ボールが並び、ざっくりとしたジャンルでまとめてありました。
かつて持っていたけど、人に差し上げてしまった本、しかもかなり古い版に遭遇。その作家の他の本も数冊あり、結局あれやこれやと一抱え買いました。
帰宅して戦利品を丁寧に見ると…持ち主の記名や年月日、その方の雰囲気が伝わる万年筆や鉛筆で書かれた丁寧な筆跡。それを見たら私の中では価値が上がりました。(書き込みだから、金銭的な価値は下がるかもしれないけど)
今、ちょうどその本を読んでいます。
かつて持っていた本はソフトカバーでしたが、手に入れた本はハードカバーで、閉じるときのパタンという感じも嬉しい。
つい嬉しいこの気持ちを書きました。長文お許し下さいませ
こんにちは
博物館でのバザー、いいですね。
本を通して前の持ち主に思いを馳せる時間が僕も好きです。
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