![]() |
昔むかし
陸奥国霧島山(現在の大滝根山)周辺で
大多鬼丸を首領とする賊が
悪逆非道を繰り返していました。
時の朝廷は、この賊を征伐するため
坂上田村麻呂を大将とした軍を
田村の地に送りました。
田村麻呂の軍は各地で戦勝祈願しつつ進軍し
ついに大多鬼丸の軍と激突しました。
最初は苦戦していた田村麻呂ですが
神託や白鳥の導きにより、
ついに大多鬼丸を洞穴(達谷窟)に
追い込んで自決させました。
首領を失った大多鬼丸の軍は降伏し
この地の戦いは終結しました。
田村麻呂は大多鬼丸の武勇を惜しみ
その首をあぶくま一円が見渡せる
仙台平に丁重に葬りました。
多くの伝承が上記の様な内容の様だが...
【大多鬼丸】
昔むかし
陸奥国霧島山(現在の大滝根山)の白銀城に
大多鬼丸という豪族が住み
七里ヶ沢(現在の滝根町周辺)を
平和に治めていました。
ある日、大多鬼丸の元に朝廷から
「この地と人を朝廷に差し出せ」という
要求がありましたが
大多鬼丸はそれを拒否しました。
怒った朝廷は、
大多鬼丸を討伐するため
この地に坂上田村麻呂を大将とした
大軍を送りました。
こうして坂上田村麻呂と大多鬼丸との
戦いが始まりました。
大多鬼丸や部下の鬼五郎は勇猛に戦い
田村麻呂軍相手に善戦しましたが
兵で勝る田村麻呂に次第に追い詰められ
達谷窟で自決して果てました。
かくして
大多鬼丸は悪鬼として
後世に名を残すことになりました。
地域によっては
2つ目の内容の伝承が在るという
どちらが真実なのかは
今となっては解らない事だが
過去もそして今自分が生きる現代も
勝ったものが正義で
そこに隠れたあれこれは
勝者の都合良く捻じ曲げられるのが
世の常...と感じなくもない
大滝根山へ出掛けた際
大多鬼丸像をあちこちで見掛けたので
興味が湧き調べてみた
・滝根町観光協会
http://takinekanko.jp/about/history
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する