学習院阿弥陀岳遭難の概要がヤマケイのサイトにUPされていました。
中岳のコルを南に降りてから南稜に登り返したというのが疑問でしたが、かなり下って立場岳に登り返したとういことで疑問が解けました。
遭難したと自覚できたなら、南稜を登り返さず舟山十字路へ下りる判断ができたのでしょうけど、最後まで自分たちが遭難したという意識が無かったのが残念ですね。
http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/04/15/yama-to-keikoku201505_amidasounan.pdf
初めまして こんにちは。
リンクの記事拝見しました。おっしゃる通りだと思います。
ヤマケイの記者が書いたのでしょうか??
著者文責として、6ページ中程で、
『したがって、南稜から阿弥陀岳を越えてBCへ下るまでの過程は、遭難ということはできない。』
『つまり、本事例は道迷い遭難ではなく滑落事故であった。』
と書いているのも残念ですね。影響力のある雑誌に、こういう感想がかかれ、それが支持されるならば、同様の事故はいくらでも繰り返されるでしょう。
文頭に、『最近、これだけの完全な登山計画書はなかなか見られない。計画書作成の手本にしたいようなすばらしいものである。』とも書かれていますが、本来的には、計画書どおりの行動ができなくなった時点で遭難と認識すべきですね。
下手な例えになりますが、もし、業務であれば、
『納期が遅れる』や『納品してみたが仕様書・契約書と合致しない』
という場合であれば、当然、クレーム事案になります。それなのに、その会社なり担当者が事案(事故)として認識していなかったら、その過ちはなんども繰り返されるでしょう。
また、施工関係の法令では、一般に『人体に危害、または、物件に損傷を与えた場合』は事故として扱われるのですから、たとえ計画書通りに行動できたとしても、装備品を破損したり、小さな怪我や凍傷を負った場合でも、やはり事故として捉えるべきでしょう。ヤマレコの記録みてると、怪我したり、装備なくしたりしても『無事下山』って書いてる人が結構いますが、そういうのは本来、『無事』とはいいません。
まぁ、個人の記録は趣味の範囲なので、その人の気持ち次第で好きなように書けばいいけど、ヤマケイにはもう少しシビアな感想を書いておいて欲しいですね。
10数年前の身内の事故を思い出したこともあり、
ながながと書いてしまいた。あしからず。
ihara1990さん、コメントありがとうございます。
このレポートは、山と渓谷編集部ブログにのっていたもので、山と溪谷 5月号の記事の詳述版とのことでした。
ihara1990さんご指摘の箇所にはわたしも違和感を覚えました。
いずれにしても、無事に帰れるチャンスがあったのに、登り返す判断をしてしまったことが悔やまれます。
はじめまして。 Boulder05と申します。
この学習院大山岳部の遭難事故に関心があり、山と渓谷5月号とネットにある『詳述版』の両方を読み比べて大変驚きました。
5月号は判明した「事実」に沿って書かれていて変な「憶測」は一切無いにも拘わらず、
この『詳述版』は、「だろう」「かもしれない」「ようだった」「だろうか」といった根拠の薄い執筆者の「憶測」が入り乱れて説明が進みます。
そして、最後に
「したがって、南稜から阿弥陀岳を越えてBC へ下るまでの過程は、遭難ということはできない。」
「本事例は道迷い遭難ではなく滑落事故であった」
などというトンデモナイ「論評」を下しています。
執筆者は山と渓谷誌の編集者ではなく、今年『もう道に迷わない』という本を出したばかりの遭難記事専門のプロライターですが、こんな論評を行うとはあきれてしまいます。
山と渓谷編集部の説明と相反し、なぜ市販の活字誌面では執筆者の「憶測」や「論評」がないのだろうか? この点も訝しいです。
Boulder05さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
雑誌のほうは読んでいないので、そのような違いがあるのは知りませんでした。
編集が評論部分はマズイと思って掲載時に削除し、ライターへの体面上ブログに載せたのでしょうか?
この評論部分が有るのと無いのでは、受け取り手の印象が大きく違ってきてしまいますよね。
可怪しいと思う人もいれば、このライターと同じように結果オーライなら良いんだなと受け取る人もいると思いますので、文字を書く人はその文字に責任をもって書いて欲しいですね。
そういう意味では、ヤマレコへの投稿も気を付けなければいけませんね。
自戒を込めて。
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