定年退職したら意外に知らない生まれ育った京都の町を知るために始めた「京都一周トレイル」からはじまったトレッキング、いい年をして、なんで?しんどい、危ない山道を歩いているのか? もしかしたらこの本の中に書いてあるかも、と思って色褪せた古本を読み返してみた。 答えらしきものが2か所ありました。
(抜粋)まあ、そう七面倒に考えなくても「なんで登るねやろ」と考えることで、暇つぶしができるし、もしかしたら、もともとあんまりよく分かってはいない自分の心の内をのぞけるのかも知れん・・・そんな気もします。 と、また
(抜粋)やはり、山登りには、ある官能的な酔いの感覚がその奥底にある。そして、この感覚は山登りの魅力の重要な部分となっているようです。 やはり、山の上で、本当の青空の無限の拡がりをみつめ、流れる霧を身体に満した方がよい。いつまでも、幼な子のようなプリミティブな感覚は失いたくないし、できることなら、レオ・フェレが歌うたう如く登りたい。そう思ってるんです。 と。
書棚には続編もある。書店には続々編も出ているらしいのでそれらを読んでから流れる霧を身体に満たせる山に行ってみようと思います。 いいところあれば教えてください。
昔「山と渓谷」に連載されていた文章が単行本になったのでした。とても懐かしいです。京都弁の語り口が、はんなりまったりしているので軟弱登山家みたいに聞こえるけど、シビアな雪山も上る方だった。今はどうしておられるのでしょう。
冬山で遭難した友人の遺体を春になって捜索にいかれて発見されたときの描写が忘れられません。もう一度読んでみたいので、図書館で探してみようかな
コメントありがとうございます。高田先生は現在もお元気なようです。ブログも見つけました。変な先生だと思っていましたがすごい硬派のクライマーだったようです。でも、劔岳には到底登れそうもないです。ビビリなんで・・・
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する