自分が今登っている山やルートには名前がついていて、山頂には名札見たいな看板が立ってたりする。
名前はすごく便利で、自分のしていることがその名前を知っている他の人たちにすぐ理解される。名前というラベルをもとに話している対象が何かわかるからだ。
でも、名前はやっぱりラベルでしかなくて、たとえば富士山にポピ山みたいな名前がついていても、その山自体は変わらない。
無名峰みたいなのもあるけど、本質的には名前がついている山も同じだ。ただの地球の上の連続するデコボコでしかなくて、便利だったり、人の思いがあったりするから名前がついているにすぎないと思う。
人間やその活動だって名前は交換可能で、本当は名前があってもなくてもそのもの自体や行なっている行為は変わらないはずだ。2本の棒みたいなので立っている生き物が地球と呼ばれる星の上でうようよしていて、集まったり各個体がやりたいと思ったことをやったりする。
名前は主観をもつものにしか機能しなくて、本質に作用しない。
と思いました。


コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する