今朝、天気を確認すべくYahooを開いて、ミハイロビッチが亡くなられたことを知った。
私は基本的に分かりやすくミーハーでニワカ気質で、サッカーに興味を持ったのも2002年のW杯からだったため、現役時代のプレーを観たのは、ピクシー目当てで人様にダビングしていただいた、内戦後のユーゴ代表数試合だけである。
「悪魔の左足」という異名を持つフリーキックの名手という情報を、試合観戦前に知っていたかどうかは覚えていないが、試合中にミハイロビッチがコーナーキックを蹴る前に、当時の実況だったかが、「この人の球は速くて落ちる」というような紹介をしていた気がする。
ふーん、と特に何とも思わずそのまま眺めていたら、予想もしない速さでボールが来て、ぐぐんと下に曲がった。
度肝を抜かれた。
サッカーを観るようになって、名手と呼ばれる選手たちも何人か見てきたが、フリーキックで驚嘆したとんでもない名手というのは、今のところ、このミハイロビッチとジュニーニョ・ペルナンブカーノの2人だけだ。
リアルタイムで観ていたのは、監督時代。
そもそもサッカー戦術を語れるほどサッカーが分かるわけでもないので、監督としての能力云々は何とも言えない。
アッレグリのように意表を突く選手交代で一気に流れを変えたりしたことは、たぶん、ない。
ジェノアやアタランタ時代のガスペリーニのような特色あるチームを作るわけでもなく、良くも悪くも印象に残るような派手な采配を振る人ではなかったと思う。
ただ、才能ある若手は躊躇せず抜擢して使う人だった。
ミラン時代のドンナルンマには驚いたし、ボローニャでは冨安を使い続けた。
この先、どんな選手が育つだろう、と楽しみだった。
ユーゴスラビア代表について書かれた「悪者見参」と言う本にあったミハイロビッチのエピソードは忘れられない。
セルビア人とクロアチア人の両親の間に生まれたミハイロビッチの生まれ故郷は、民族紛争の舞台となり、停戦後に命懸けでかつての実家に戻ってみると、家は荒らされていて、壁に飾られた旧ユーゴ代表の集合写真ではミハイロビッチの顔が銃で撃ち抜かれていたらしい。
帰る故郷を無くし、「侵略者」側として憎悪を向けられ、イタリアなどでも非難されたミハイロビッチの抱えてきた思いはどれほどのものか、想像するのも難しいけど、そうやって生きてきて、急性白血病でこの世を去ってしまうと言うのは、ちょっとどう言っていいのか分からない。
53歳なんて。
あまりにも若すぎる。
私はサッカーにさほど詳しくはないのですが、ミハイロビッチの名前は憶えています。
たまたま流し見ていたセリエA(多分ラツィオ)で、フリーキックだけでハットトリックし衝撃を受けたのを覚えています。
53歳は私とあまり変わらない年齢ですね・・・。
ミハイロビッチの訃報には自分でもビックリするくらいショックを受けました。
一試合でもいいからラツィオ時代のミハイロビッチをフルで観たいとずっと思っていまして、特に伝説のFKでハットトリックを観てみたいのですが、その試合をご覧になったことがあるなんて、ものすごく羨ましいです!
当時のラツィオは他のメンツも凄いですし。
ユーゴは分裂しなければ、今も優勝候補の一角だったのではないかなあ…
登山とは関係のない日記でしたが、羨ましい思い出話を伺えて嬉しいです。
ありがとうございました。
どこかでアーカイブ放映でもしてくれないかなー
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