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それは…
何故、深田久弥は八経ヶ岳を大峰山としたのだろうか?
と、言う事だ。
地図には大峰山と言う山は無い。
関西の人間からすれば、大峰山=山上ヶ岳である。
山上ヶ岳の山頂には大峰山寺(おおみねさんじ)があり、山上ヶ岳と呼ぶより大峰山とか山上山(さんじょうさん)と親しみを込めて言う方が多い。
関西以外の女性の方が「日本百名山」を読んで「大峰山に登りたい」と地元の人に言えば「女人禁制だから登ってはダメダメ!」と小言を食らうだろう。
深田本人も「日本百名山」の中ではちゃんと大峰山は脊梁と書いてあるし、記録には山上ヶ岳・八経ヶ岳と書いている。
深田久弥は、大峰山を女性が登れない山上ヶ岳を百名山にカウントする訳にもいかず大峰山系全体と捉えて最高峰の八経ヶ岳を大峰山としたのかも知れない。
このヤマレコでも、八経ヶ岳に登った記録(ランキング)では、同一の山なのに大峰山と八経ヶ岳がダブってカウントされている。
山多しと言えども、この様なダブりは八経ヶ岳ぐらいしか見当たらない。
少し意味合いは違うが、大台ケ原山もそうだ。
大台ケ原山と言う山頂は無い。
あるのは日出ヶ岳(昭和56年版 新潮社「日本百名山」では秀ヶ岳となっている)だけだ。
地元でも大台ケ原に山を付けて「大台ケ原山」とは呼ばない。
日出ヶ岳を含めた山域を大台ケ原と呼んでいる。
当ヤマレコの「この記録で登った山」では、日出ヶ岳の表記は無く「大台ケ原山」となっている。
ヤマレコに限って言えば、百名山を目指して登られる方も多いから深田久弥に準じて表記するしかないのだろう。
深田久弥さん!
墓場の下からでも、百名山の山名表記を変えてもらえませんかね〜
画像左 山上ヶ岳「大峰山寺」
画像中 八経ヶ岳
画像右 大台ケ原・日出ヶ岳
jijiさん、こんにちは。
そうですね、確かに変ですね。
「大台ケ原」もはるか昔は「大平」と云っていました。
それが、地元の方が山頂が広いので、その様な名称になったとか。
これから、「ポンポン山」に行きます。
そう云えば、この山も「加茂勢山」とも呼びますね。
nonkibouさん、お早うございます。
今朝は風が凄かったんで、今日の山は中止しました
この低気圧が抜けた昼から、グッと気温が下がりそうなんで、婆さんに特別休暇?をもらって明日に変更しました。
いくらポンポン山とは言え、この風ですからねぇ
と、言ってもポンポン山は登った事無いですけど
そう言われればそうですね。
私は両方とも疑問も抱かずに登りました
私は今日も相変わらず三角山をゴム長で歩いてきましたが、そろそろ冬靴の出番になりそうです。
明日はどちらにお出かけですか?
どうぞお気をつけて
jiji さん、今晩は。mesner といいます。
私は深田久弥の気持ちが解かるような気がします。八経ヶ岳も日出ヶ岳も独立峰ではなく、両者は最高点には違いないがそれ以上に、前者はその峰の連なりが重要でそれ全体に意義があると言ふ事、そして後者も同じくその台地全体を見ないとその意義がないと思ったのだと考えます。40数年前にかれの「百名山」を読んだ時から私は全く違和感なく、成るほどと思ったのを思い出します。
そして、実際に登ってみて、私は成るほどと思いました。
所で、六甲山もそんな所が少しありますね。六甲山と普通に言ふ時必ずしも最高峰を指すとは限らず、最高峰に行く時は単に六甲山に行くだけでは解からず、最高峰に行くと言います。深田久弥が若し六甲山を百名山に選んでいたらきっと麻耶山から宝塚を六甲山と呼んだかも知れないですね。
言われてみれば、大雪山もそうだし八ヶ岳ももうですね
ただ大峰山は「大峰山に登る」と言えば山上ヶ岳を指している様な気がします。
大昔の話ですが、小学校や中学校での耐寒登山は別にして、始めて登った山が稲村ヶ岳と山上ヶ岳でした。
その時、親に大峰山に登ると言ったらチョー貧乏だったのに、男は1度は大峰山に登らないといけない!ってスッとお金を出してくれたのを思い出します。
そんな個人的な思い入れもあるからでしょうね…
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