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2022年05月23日 22:05観光全体に公開

5月21日: 甲賀市観光

 当日はポケモンGOとピクミンブルームのコミュニティデイと用事があったため、その地のポケふたと歴史資料館に足を運んで知的好奇心を満たす旅。郊外なので人や交通量が少なく密の心配が無いのでそこも安心。
 鹿深夢の森ポケふた→甲南情報交流センターポケふた・展示物閲覧→甲賀流忍術屋敷(現存・望月出雲守屋敷)→水口スポーツの森ポケふたとジョギング。ストレスと疲労が溜まっていたので、ストレス発散と疲労度合いを測るため適当に見回った。
 甲賀忍者とは、室町末期〜江戸初期の戦乱の世の中、自分達の身を守るために孫子の考え方の元で生きる甲賀の地侍たちの事で、甲賀の里は山に囲まれており、守るに堅い地。山には薬草が多く茂っており、薬師になる者も多かった。
 忍者となる者は、飯道山などで修行を積み、忍術は火遁・木遁・土遁・金遁・水遁を操る。これらは、地域の生活に根ざした技術であり、火遁は煙幕を使うが、これは煙が発生する草を燃やしたもの。木遁は木に隠れ土遁は盛り土などに身を隠すが、これは山での経験が活かされている。金遁は苦無など金属製のものの投擲。水遁は、水蜘蛛という木製の浮き輪のようなもので水掘を渡り、竹筒で水中に身を隠すもの。
 陽忍・陰忍という役割を持つ忍者もいる。陽忍は敢えて存在をひけらかす事で多くの敵の目を引く者。陰忍はそれをはじめ日陰や夜陰など陰に潜み働く者である。
 政治についても記述があった。足利義尚の鉤の陣が敷かれた時、六角高頼は本城を捨て何処かへ逃げ潜む間、辺りから甲賀忍者が鉤の陣に集まって撹乱し、鉤の陣は解かれ京へ引き払われたという。
 織田信長の近江国出兵では六角義賢が何処かへ逃げ潜み、また甲賀忍者が活躍する…かのように思われたが、徳川家康の政略により甲賀忍者は丸め込まれて不発に終わったそうな。この事は、甲賀市水口に水口城御茶屋御殿が築かれている事が何よりの証かと思われる。
 甲賀流忍術屋敷にも足を運んだ。この屋敷は、望月出雲守が実際に生活していた屋敷が保存されており、老朽化が進んではいるが、忍者の知恵が多分に活かされた屋敷だ。押入れの中に半回転の戸を作り、戸の先に落とし穴を掘り、押入れの中に風通しへ逃げ込む退路を作り、引き戸の中に吹き抜けへ忍び込める階段を作り、そこから階下の様子を見られる窓を作っていた。見回っていく中でメタルギアソリッドを思い出していた。なるほどそういう発想だったのか…
 甲賀忍者・地侍のルーツ、この地について深く知られた充実した旅行だった。
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