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たまに(週に1回ほど)顔を出して、ごはん食べて、すぐどっか行っていたクロ。
落ち着いたのか、毎日顔を出すようになりました。
1匹いないだけでも、えさ代助かっていたのですが・・・
4匹そろいぶみ。
力関係は、相変わらず、「みけこ」がダントツ、他3匹はいつもいじめられています。
ご飯の横取りは当たり前。
何か気に食わないことがあると他のねこにあたります。
そんなに若くないのに、いつも飛び回っています。
まあ、元気が一番かぁ。
最近、ずっと考え事をしていたので、アップするタイミングを逃した日記、
コピペします。(危険?)
「これ走りません?」(先輩)
「ハーフですか?」(ぼく)
「無理、無理、10kです」
「走りましょう!」
と申し込んだしんきろうマラソン10km。(4月27日、富山県魚津市)
「マラソン」この言葉で条件反射的に学生時代がよみがえります。
講座(研究室)の先生が40半ばにして、マラソンと登山に目覚め。
で、夕方になるとぼくたち学生の部屋に来て、一言。
「さあ行きますか?」
「はい」(必然の返事)
毎日走るのが日課でした。
普段は5kmほどなんですが、時々倍の10km走ることも。
まあ普通に考えると、5kmで折り返しますよね。
ところがなぜか500円玉をセロハンテープで手の甲にくっつけて、
10km走ったところからバスに乗って帰ってくるという、
とっても変な事していました。
(なぜこうなったか、全然覚えていません)
出発は、学部があった小立野(こだつの)と言う台地、
ゴールが金沢の奥座敷「湯涌温泉」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B6%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89
アップダウンに富み、途中から温泉まではずっと登りで結構ハードだった記憶が・・
自慢じゃないけど、ぼくはいつも「げっとっぴ」(びり)でした。
温泉に入って帰ればいいようなものの、なぜか入った記憶がありません。
(入ったこともあるのかなぁ〜)
とってもいい思い出です。
「マラソン部」と呼ばれた我が講座。
走るのが楽しくなり、卒業後も走り続けているOBの方、たくさんいます。
(わたしは中途半端ですが、まあ走っている方に入るかな)
先輩もずっと走り続け、いろいろな大会に参加されました。
フルも何度か経験されています。
飲み会の席
弟さんもランナーで、一緒に練習したり、大会で偶然会ったりと、
うれしそうに話してくれました。
「弟が亡くなってから、モチベーションがなくなりました」
(かわいそうに弟さん、40代の若さで病気で亡くなったんです)
「来年の金沢マラソン出ましょうよ!」
(励ましにも何にもなっていないかもしれませんが・・・・)
それから少したって、ぼくの部屋に来て冒頭の言葉。
二つ返事でした。
誘ってくれて、なんかとってもうれしかったです。
暖かくなってきたので、そろそろ練習しなければ。
来年の金沢マラソンに向けての第一歩です。
来年、先輩と一緒に走りたい。
あ〜今、思い出した、逆バージョンがありました。
温泉までバス、帰り道走る。
もうひとつ先生の口癖「きょうびの若いもんは・・・・」
73才、いまだにウルトラマラソン完走するスーパーマン。
1.放蕩猫「クロ」
2.「みけこ」不在でくつろぐ3匹
3.俺の隠し子A(名前なし)
お父さんと声がクリソツ。
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