ぎふ百山
東海
最終更新:nagara
基本情報
標高 | 1402m |
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場所 | 北緯35度46分52秒, 東経137度20分52秒 |
拝殿山は、小秀山と乙女渓谷を挟んで西に対峙する三等三角点(点名:穴洞)峰である。
山名の由来は、御嶽四門のひとつ(修行門)として鳥居が設置されていた事による。御嶽四門では同山は「三浦山」と呼ばれていたが、現在では地形図上や「ぎふ百山」をはじめとする多くの出版物も「拝殿山」としており、こちらの山名が定着している。
山頂に存在していた鳥居は「御岳の信仰と登山の歴史」によれば、戦乱で焼失したとの記録がある。現在では鳥居はもちろん、当時はあったであろう登山道も背丈を超す藪と帰り存在しない。ただし興味深い話としては平成四年に出版された「飛騨の山山(国境編)」でクマザサの中に朽ちた鳥居が倒れている、という村人の話も紹介されている。
三国山との縦走路についても大正期の地図に記載されていたり、「続山旅徹底ガイド(裏木曽/東濃/奥三河)」の三国山の項で「概ね植林用の踏み分けがる」と記載されているが、こちらも現在では完全に廃道化し、背丈を超す藪に没している。
登山上の留意点は、登山道が存在しない事、特に上部や三国山縦走路では酷い藪漕ぎが強いられる事、そして最も懸念しなければならない事として猟期にはハンターが山頂付近まで入山している事である。服装(色など)、音を発するものの携帯はもちろん、林道などで彼らと出会った場合は必ず「拝殿山に入山する」と伝えておく事。ルートとしてよく使われる南尾根の林道よりの取り付きにテープがあったり、その付近のみ意外に踏まれているのは、登山者というより彼らがよく入山するためだと思われる。
山名の由来は、御嶽四門のひとつ(修行門)として鳥居が設置されていた事による。御嶽四門では同山は「三浦山」と呼ばれていたが、現在では地形図上や「ぎふ百山」をはじめとする多くの出版物も「拝殿山」としており、こちらの山名が定着している。
山頂に存在していた鳥居は「御岳の信仰と登山の歴史」によれば、戦乱で焼失したとの記録がある。現在では鳥居はもちろん、当時はあったであろう登山道も背丈を超す藪と帰り存在しない。ただし興味深い話としては平成四年に出版された「飛騨の山山(国境編)」でクマザサの中に朽ちた鳥居が倒れている、という村人の話も紹介されている。
三国山との縦走路についても大正期の地図に記載されていたり、「続山旅徹底ガイド(裏木曽/東濃/奥三河)」の三国山の項で「概ね植林用の踏み分けがる」と記載されているが、こちらも現在では完全に廃道化し、背丈を超す藪に没している。
登山上の留意点は、登山道が存在しない事、特に上部や三国山縦走路では酷い藪漕ぎが強いられる事、そして最も懸念しなければならない事として猟期にはハンターが山頂付近まで入山している事である。服装(色など)、音を発するものの携帯はもちろん、林道などで彼らと出会った場合は必ず「拝殿山に入山する」と伝えておく事。ルートとしてよく使われる南尾根の林道よりの取り付きにテープがあったり、その付近のみ意外に踏まれているのは、登山者というより彼らがよく入山するためだと思われる。
山頂 |
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