九州・沖縄
犬鳴御別館跡(いぬなきごべつかんあと)
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基本情報
場所 | 北緯33度42分23秒, 東経130度33分17秒 |
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展望ポイント |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
犬鳴御別館(いぬなきごべっかん)は、福岡県宮若市犬鳴にあった日本の城(館)。建築当時の地名は犬鳴谷村。犬鳴山御別館は慶応元年(1865年)に、福岡藩勤王攘夷派中心的存在であり中老職の加藤司書の推進によって建てられた、城郭の構造を持つ館。「福岡は海岸故、攘夷の時なり防長御征伐については、英夷加担致すべき間、海岸の城は不都合とて、右様犬鳴山之別館取立」となったもので、元治元年七月から着工、翌慶応元年(1865年)に竣工した。しかし、当時福岡藩における勤王攘夷派と佐幕派が鋭く対立、別館建設は勤王攘夷派の推進によるものであったため、犬鳴山御別館竣工後、勤王攘夷派は太宰府に移されていた攘夷急進派の五卿を鹿児島藩に移して、九州勤王攘夷派の総決起をはかり、もしこれを藩主の黒田長溥が賛成しなかった場合は、長溥を犬鳴山御別館に移して子の長知を奉載する計画であった。この犬鳴山御別館事件が発覚し乙丑の獄が起こった。慶応元年六月二十日、勤王攘夷派は全員逮捕されて桝木屋の獄に入牢となり、十月下旬加藤司書たち7名は切腹、月形洗蔵たち14名は斬首、女性の野村望東尼の姫島流罪など、厳しい処分が断行された。
その後、犬鳴山御別館は福岡藩知事に就任した黒田長知が藩内視察で犬鳴谷に訪れた際に一度宿泊しただけで、あとは放置され明治17年(1884年)に、暴風により倒壊した。近年の調査により、近隣の民家などの一部や糟屋郡久山町上久原にある安楽寺(浄土真宗本願寺派)庫裏に倒壊した御別館の資材が再利用されていたことが確認されている。安楽寺の庫裏は建て替えが行われ、貴重な犬鳴山御別館御殿の遺構は失われた。
明治二年(1869)黒田長知が犬鳴谷村を訪れた際、褒賞として犬鳴足軽一人に付き米一俵を与えたと言う。
正面から右側に大手門があり、左側には搦手門と石垣、城内には庭園跡と司書の忠魂碑が残されている。別館は福岡藩で最後に造られた城として貴重とされており、史跡として宮若市指定文化財にも登録されている。
古文書によれば、城内に御殿、城外には足軽詰所・宝蔵・火薬蔵などがあったとされ、また犬鳴に入る各峠に構口(番所)を築き犬鳴在住の足軽を配したと記されている。
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