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牧野城(まきのじょう) / 牧野城跡

最終更新:げんた
基本情報
標高 9m
場所 北緯34度49分31秒, 東経137度24分35秒
カシミール3D
愛知の山城ベスト50番外編の114番

山の解説 - [出典:Wikipedia]

牧野城(まきのじょう)は、愛知県豊川市牧野町丁畑付近に15世紀頃に牧野氏により築城された中世の日本の城。四国から移り住んだと云われる田蔵系の牧野氏が最初に築いた城とされる。豊川市指定文化財。
三河国二葉松には、牧野村古屋敷;牧野古白。三州古城記には、牧野古城;牧野古白。と紹介されている。
築城は付近を流れている豊川の当時の流れに望む自然堤防の地形を利用して行われたと推定されている。
また、城主は三河国宝飯郡の有力者、牧野成富・牧野古白入道(成時)の親子2代が城主であったとされる。牧野成富は四国の田口氏の一族と伝えられ、宝飯郡中條郷牧野村に移り住んで土着豪族となり、やがてこの牧野城を築いたものという。
成富の子牧野古白は共通の主君と伝える一色時家の長山一色城を押領した波多野全慶を明応2年(1493年)に倒して長山一色城に入城し、更に瀬木城を築城するなど、その勢力を伸ばして東三河の国人領主に成長した。やがて、城主の古白は今川氏に属して永正2年(1505年)には渥美郡の豊橋市域に今橋城を築城して本拠をそこに移したので、この牧野城はその頃に廃城されたと伝えられている。
しかし、この城の使用されていた当時の史料は現存しておらず、城主などについても、『牛窪密談記』や『宮嶋記』などの後年の史料によるものである。
現在は土地改良区に指定されたために農地整備により敷地を切り取られ過去の面影をほとんど留めていないが、土塁を含む遺構の一部が平成7年(1995年)2月13日には豊川市により指定文化財に指定された。

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