阿闍羅山(あじゃらやま)
最終更新:イグルスキー米山
基本情報
標高 | 709m |
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場所 | 北緯40度29分37秒, 東経140度35分36秒 |
西暦800年ころ坂上田村麻呂が蝦夷征伐に津軽へやって来た時、現在の大鰐町の阿闍羅山に本陣を構え、岩木山まで峰伝いに千の坊舎を建てたという。これを阿闍羅千坊といい、その一つが今も久渡寺山山頂に古宮として残っている。
一方、十二世紀になって、十三港に韓国船でやってきた帰化僧達によって開かれた十三宗を
もとにして、安倍貞任の百年法要が営まれた時、これに相呼応して、藤崎城主安東氏にあっても津軽三千坊を作った。その一つに阿闍羅なるものがあって、大いに栄えたという。しかし、慶長二年(1597)津軽為信は、旧氏族の反旗を防ぐために安倍一族に縁のある宮方の史証を消そうとして、乳井美作に命じて領内の寺社から記録を集めて焼き捨てたと言われ、今では定かなことが伝わってはいない。(青森県山岳風土記・山田耕一郎1979より)
大正13年(1924)の第三回全日本スキー大会をはじめ全国大会が次々開催され、阿闍羅山は名を馳せた。青森林友のスキー部からオリンピック選出を排出するなど、国内スキーの先進地だった。
一方、十二世紀になって、十三港に韓国船でやってきた帰化僧達によって開かれた十三宗を
もとにして、安倍貞任の百年法要が営まれた時、これに相呼応して、藤崎城主安東氏にあっても津軽三千坊を作った。その一つに阿闍羅なるものがあって、大いに栄えたという。しかし、慶長二年(1597)津軽為信は、旧氏族の反旗を防ぐために安倍一族に縁のある宮方の史証を消そうとして、乳井美作に命じて領内の寺社から記録を集めて焼き捨てたと言われ、今では定かなことが伝わってはいない。(青森県山岳風土記・山田耕一郎1979より)
大正13年(1924)の第三回全日本スキー大会をはじめ全国大会が次々開催され、阿闍羅山は名を馳せた。青森林友のスキー部からオリンピック選出を排出するなど、国内スキーの先進地だった。
山頂 |
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