最終更新:イグルスキー米山
基本情報
標高 | 468.4m |
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場所 | 北緯40度47分58秒, 東経140度34分31秒 |
県民の森として遊歩道、登山道が整備されている。初心者でも安心して山歩きのできる山。手軽な割に、ブナ林が豊かで、日本最大の幹回りのブナがある。
梵珠山から北には馬ノ神山、摩ノ岳があり、これらは奈良時代、東日流(つがる)三千坊の一つ、高野梵珠千坊のある聖山として崇められる修験場だった。
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修験者が出入りしていた八世紀前半に、道昭上人が釈迦、文殊、普賢の三尊をこの山にまつったが、梵珠の名前は文殊菩薩からきたものである。山麓の大釈迦という地名は、八世紀後半の桓武天皇の時代に、鬼門封じのために堂舎を建立して釈迦像を安置したことに由来するといい、安東十郎高星が修験宗小覚寺殿を献築して大光院の奥坊としたり、外ヶ浜からの塩取りの山越え道があったりの記録が残されている。
時代が下って鎌倉時代、浪岡の金光上人が阿弥陀如来を祀って人々を教化したともいわれるが、たびたび羽黒山の修験者が中山の業者を悩ませる事態もあって、当時の安東領主が中山法師を護るために場所を限定したりしたらしい。
安東家が滅亡してからは、津軽為信の施策も影響して修験場としては衰退の一途を辿り、民衆の信仰心によって霊山として細々と受け継がれてきたが、戦前まで残っていた地蔵堂も現在では壊れてしまい、松倉神社を訪れる子供たちの姿しか見られなくなった。
そして昭和四十四年、梵珠山が県民の森に指定され、レクリエーションの山として見直されることになる。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
梵珠山から北には馬ノ神山、摩ノ岳があり、これらは奈良時代、東日流(つがる)三千坊の一つ、高野梵珠千坊のある聖山として崇められる修験場だった。
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修験者が出入りしていた八世紀前半に、道昭上人が釈迦、文殊、普賢の三尊をこの山にまつったが、梵珠の名前は文殊菩薩からきたものである。山麓の大釈迦という地名は、八世紀後半の桓武天皇の時代に、鬼門封じのために堂舎を建立して釈迦像を安置したことに由来するといい、安東十郎高星が修験宗小覚寺殿を献築して大光院の奥坊としたり、外ヶ浜からの塩取りの山越え道があったりの記録が残されている。
時代が下って鎌倉時代、浪岡の金光上人が阿弥陀如来を祀って人々を教化したともいわれるが、たびたび羽黒山の修験者が中山の業者を悩ませる事態もあって、当時の安東領主が中山法師を護るために場所を限定したりしたらしい。
安東家が滅亡してからは、津軽為信の施策も影響して修験場としては衰退の一途を辿り、民衆の信仰心によって霊山として細々と受け継がれてきたが、戦前まで残っていた地蔵堂も現在では壊れてしまい、松倉神社を訪れる子供たちの姿しか見られなくなった。
そして昭和四十四年、梵珠山が県民の森に指定され、レクリエーションの山として見直されることになる。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
山頂 |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
梵珠山(ぼんじゅさん)は青森市と五所川原市に跨る標高468mの山。付近の山
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