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都道府県 大阪府
最終更新:momo114
「上り観音山」ともいわれている。文和2年(1353)創建であることが町有古文書に記され、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置する曳山で、飾屋根を付けたのは天保4年(1833)のことである。破風下の木彫雲鶴は片岡友輔の作。天水引は観音唐草と雲龍図を隔年に使用、下水引は関帝祭の図と伝える人物風景は中島来章の下絵。胴懸類は17〜18世紀の花文インド絨毯を用いていたが、近年、前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸東面はトルキスタン絨毯と、西面はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品に変えている。二番、三番水引は共に山鹿清華作の手織錦であったが、平成18年(2006)より「赤地牡丹唐草文様綴織」の二番水引と「金地紅白牡丹文様唐織」の三番水引(復元新調)の江戸時代の姿に戻している。四隅の房掛金具は祇園守。欄縁の唐獅子牡丹等錺金具の精巧さは、この山の華麗さを際立たせている。 巡行時に柳の枝を差出しているのは観音懺法にちなむもの。慶安4年(1651)在銘の旧観音尊衣裳、退紅色花菱襷文様繻珍裂は大切に保存されている。
南観音山 「下り観音山」ともいわれている。華厳経の説話で、善財童子が順に教えられ南へ南へ53人の聖者を訪ねて菩薩道修業をした話は、東海道五十三次や指南の語源となるが、28番目の観音は美しい南海のほとりに住み、あらゆる苦悩から人々を救うことを教えたという。本尊の楊柳観音像は、悠然と瞑想する鎌倉時代の座像であるが、天明の大火で頭胸部だけが残り、他は童子像とともに江戸時代の木彫彩色像。諸病を防ぐといわれて巡行には柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉をつける。天水引は塩川文麟下絵の「四神の図」で、近年復元新調された。下水引は、加山又造の原画による飛天奏楽。見送は中国明代の雲中青海波文様の綴錦であったが、昭和63年に加山又造の「龍王渡海図」を新調し使用している。平成22年には江戸時代より使用のインド絨毯後懸にかえて、イラン・ミリー工房製の「中東連花水辺に魚文様」の絨毯を購入した。そのほか17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシャ金銀絹絨毯の旧前懸や年紀のあるもので日本最古(1684)のインド更紗旧打敷などを保存する。
基本情報
場所 北緯34度59分13秒, 東経135度27分54秒
カシミール3D
登山口

付近の山

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