記録ID: 1037620
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ハイキング
中国
正月の葦嶽山(あしたけやま)
2017年01月02日(月) [日帰り]



体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 02:22
- 距離
- 3.7km
- 登り
- 374m
- 下り
- 177m
コースタイム
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
道は狭し。灰原登山口に1台車をとめ、野谷登山口から登り灰原登山口へ下山。 帰りは、灰原登山口から北上して庄原インターへ。 マップコード 灰原登山口:267629402 野谷登山口:267659876 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はなし。野谷ルートは最初が緩やかな傾斜だが最後の頂上手前はちょっと傾斜がきつくなるが、初級者でも十分登れる。沢を3回くらい横切るが、雨の後は水かさが増えると予測され、気を付けた方がいいかもしれない。下山は灰原ルートで傾斜が緩やかでハイキングレベルで楽勝。 |
その他周辺情報 | 灰原登山口にはトイレなし。野谷登山口にはトイレあるも水なし。 |
写真
平安時代に作られた「延喜式神名帳」の記載では「蘇羅比古神社」は、備後国三上郡の小社で、祭神は、天津日高日子穗穗手見命(あまつひこひこほほでみ)、神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)」とあります。
又、継体天皇の御代と記載され、創建が5世紀末から6世紀初頭の頃にさかのぼるものと思われます。
【由緒】継体天皇即位年(510)創建
万治3年(1659)造営
寛保3年(1743)造営
明治6年2月郷社
明治40年3月19日神饌幣帛料供進指定神社
又、継体天皇の御代と記載され、創建が5世紀末から6世紀初頭の頃にさかのぼるものと思われます。
【由緒】継体天皇即位年(510)創建
万治3年(1659)造営
寛保3年(1743)造営
明治6年2月郷社
明治40年3月19日神饌幣帛料供進指定神社
ここから見ると杉が巨大であることがわかる。
この地域は古墳時代の遺跡が群集している。古墳時代の中期から後期にわたる住居趾、鍬寄遺跡がある他、平地につらなる社殿東寄りの緩傾斜面にある鍬寄古墳群をはじめ、吉備谷古墳群など数十基の横穴式石室墳が散在している。
この地域は古墳時代の遺跡が群集している。古墳時代の中期から後期にわたる住居趾、鍬寄遺跡がある他、平地につらなる社殿東寄りの緩傾斜面にある鍬寄古墳群をはじめ、吉備谷古墳群など数十基の横穴式石室墳が散在している。
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