長沼公園・平山城址公園+「多摩丘陵の遺跡」記録映画
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.8km
- 登り
- 180m
- 下り
- 140m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
午後からとの埋蔵文化財センターで多摩丘陵地域の遺跡展に関連するエンガ買いがあったので午前中はその近くの長沼公園の野猿尾根から平山城址公園を歩き、多摩センターに出る。以前、長沼公園を歩いた時は、絹ヶ丘経由で野猿峠口に出たが、今回は井戸たわ尾根から野猿尾根に出る。井戸たわ尾根は急な尾根で一気に野猿尾根まで登る。空は快晴に近く丹沢や奥多摩方面はよく見えたが、雲取・飛龍くらいまででその先は雲やガスが多く、見えなかった。多摩丘陵はニュータウン建設で徹底的に破壊されたが、このあたりはかつての面影を少し残している。
センターでの映画会は昨年亡くなった東京市根・ビデオ社の田部純正監督による多摩丘陵の遺跡に関する記録映画^いずれも大規模な開発が多摩丘陵で行われるさなか、次々に発見される遺跡に関する記録であり、貴重な時代の証言でもある。1)森と縄文人ー氷河期から温暖期に入って、多摩丘陵にも新しい森が生まれ、どのような人類の活動があったのか、気温や植生の変化に対応して新しい道具を作り、対応していく様子を全国各地の取材を統して描く記録映画で見ごたえがあった。
2)丘陵の中の歴史
野猿街道沿い、大栗川流域の426号遺跡の発掘を統して、多摩丘陵の歴史を描く。丘陵の地層の一番下が50万年前に堆積した御殿場掃でその上に古富士火山灰が積もり、下から多摩ローム、武蔵野ローム、立川ロームの3層をなし、その上に新規富士火山灰が積もって黒土層を形成している。426号遺跡では表土の下から中世鎌倉時代の武士の館跡が出土、付近の地名、霞が関とあるように関所があり、鎌倉を守る防衛上重要な場所だった。その下の延暦・貞観火山灰層からは平安時代の遺跡が出て、その下からは奈良・古墳時代の遺跡が現れる。古墳時代の群雄割拠から抜け出して全国支配を確立したヤマト政権は全国に国分寺造営を進め、国府の府中の近くで武蔵国分寺建設のための瓦を焼いた大丸遺跡が発見された。渡来系の技術者が派遣され、稲荷塚古墳などこうした人々のお墓も発見されている。また武蔵国一之宮、小野神社付近から、大規模集落跡(落川遺跡)が発見され、古代の牧の存在が明らかになった。市の下から弥生の遺跡はほとんど出ず、多くは縄文遺跡が現れる。縄文は草創期・早期から中期、後晩期の三つの地層に分かれ、さらにその下のローム層から旧石器時代の遺跡が出ている。実際の発掘から整理、復元までの作業を追いかけて、多摩丘陵に流れる時間を感じさせる記録映画だ。
3)最後の「古代史の発掘:はちゅせ以上各跡として知られていた大丸遺跡で、「多」の文字のある瓦の破片の発見をきっかけにして、時期。電気探査などを交えて武蔵国分寺建設のための瓦窯跡を発見し、武蔵国の歴史を復元する作業を描いている。多摩丘陵の破壊という大きな代償を払って発見された玉の歴史を復元する埋蔵文化財の発掘という作業を知るうえで貴重な記録映画であったと改めて思った・
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