石龕寺〜頭光嶽(439m)〜金屋鉱山跡・岩屋山(506m)〜岩戸山(548.8m)兵庫県丹波市山南町



- GPS
- --:--
- 距離
- 2.6km
- 登り
- 356m
- 下り
- 356m
コースタイム
天候 | 晴れ たまに曇ることもある。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
石龕寺駐車場 |
コース状況/ 危険箇所等 |
金屋鉱山跡 崩落危険箇所あり。飲食店なし。 |
写真
感想
石龕寺〜頭光嶽(439m)〜金屋鉱山跡・岩屋山(506m)〜岩戸山(548.8m)兵庫県丹波市山南町 大島渚がついに叫んだ! 「ばかやろ〜!」朝までナメてれば
丹波の名寺、石龕寺は過去に幾度となく訪れている。
特に紅葉の時期には全山燃え上がり、さながらかつて全山を焼き払った明智軍の兵火を髣髴させる。この時期のみ、幾多の参拝客が押し寄せる。丹波の寺には、未だに俗化されずに神韻縹渺とした佇まいを守る時に阿らない古寺が数多く存在する。
石龕寺もその一つに過ぎない。
遅すぎる春の一日、私たちは相変わらず誰もいない境内に立ち、背後に控える岩屋山、岩戸山を目指すのである。
岩戸山に関しては、ほとんど情報はない。国土地理院5万分の1の地図にすら、山名の表示はない。偶然、地図上の散策の結果、この山を歩いてみたくなった。少なからず、ネット上には情報が錯綜しているが、どれも同様な内容である。
中でも、金屋鉱山跡のブルドーザーの転がる荒涼たる雰囲気は、私たちの冒険心を大いにそそるのであった。
私たちは、今、石龕寺山門前に立っている・・・・・・
石龕寺に関しては、Wikipediaに優れた記述がある・・・・
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金屋鉱山
この石龕寺は谷筋に伽藍、堂を点在させる丹波らしい雰囲気を色濃く残す古寺の一つである。兵庫県丹波市(旧氷上郡山南町)の高野山真言宗寺院。本尊は聖観音菩薩。岩屋寺とも称される。もみじの寺、足利氏の寺、仁王像の寺としても知られる。
創建年代は用明天皇の丁羊の年である587年、聖徳太子(574年〜622年)による創建と伝えられる。聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とする。鎌倉時代から室町時代に隆盛を極める。
「石龕」とは石窟、岩屋のことで石窟内に仏を祀ることを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の由来となっている。山門の仁王像(金剛力士像)は、1242年(仁治3年)定慶作で国の重要文化財に指定されている。
南北朝時代、足利尊氏とその弟直義の争いである観応の擾乱にて尊氏が敗れ一時、京都から播磨に逃れる際、嫡子義詮に仁木頼章、義長兄弟を添え、2000騎を当地に留めた。このとき、石龕寺の僧が足利氏に丹波栗を献上すると義詮はその一つに爪痕を付け、
「都をば出て落ち栗の芽もあらば世に勝ち栗とならぬものかは」
(もしこの栗が芽を出せば、都に出て天下を取ったものと思ってくれ)
という歌を添え、栗を植え立ち去った。その後、首尾よくそのとおりとなったため「爪あと栗」または「ててうち栗」として伝えられる。
中世末期の戦国時代には織田信長(明智光秀)の丹波攻略を受け、1579年(天正7年)には兵火により全山ことごとく焼失、仁王門を残すのみとなる。江戸時代以降に徐々に復興。奥の院(1994年)、毘沙門堂(本堂)、鐘楼堂、持仏堂、庫裏、客殿などが再建された。
境内には1241年(仁治2年)創建の焼尾神社があり石龕寺の鎮守として弁財天が祀られていたが、明治の神仏分離により市杵島比売命を祀ることとなり、弁財天は石龕寺に保管されているが、未だに弁財天の幟が立てられ、幸運、財宝、福徳の神として作家、音楽家、歌手、俳優に人気がある。
また、境内にはもみじが多く、毎年11月には「もみじ祭り」が催され多くの参拝客で賑わいを見せる。
何の脈絡もく、ここで一席・・・・
朝までナメてれば 松尾貴史 3/3
大島渚がついに叫んだ!
「ばかやろ〜〜!!」
「ばかやろ〜〜〜!」______________
わたしたちの叫びは、遠く岩屋山、岩戸山の山塊にこだました・・・・
岩屋山、岩戸山への登山ルートは、この石龕寺境内を基点とされ、しかもそれなりに登山道は整備されらしき情報はすでに入手してはいた。
あとは、地形と表示どおりに進むほかあるまい。先週には、丹波譲葉山にて、これを見くびり地形図を見ずに進行した結果、逆方向へと舵を切っていたわれわれであった。この度は、これを教訓とし、地形図を欠かさずに見つめなおすとともに急坂を一路、岩戸山を目指す。
ぽきん金太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど、ポキン金太郎
仰ぎ見る、岩屋山は、その半身を削られ、明るくも大胆に断面を露出するのだった。
廃小屋だ・・・・
鉱山跡は
すぐそばだ。
どうだ、この時の刻印するさまは。
諸行無常のひとことで、表現できぬ負のエナジーの前で、WATASHIたちは、ただおろおろするばかりだ。
安全第一
整理整頓
振り返るとそこに緑豊かな岩戸山(548.8m)が
鉄平石採掘場跡付近ピークより
眼下には、
清らかな、あまりに清らかな加古川の清流が・・・
「ねッ、教えてください。
わたしがどうして
この場所で
こんな無残な姿を
さらしているのかを・・・・
」
そして
ふたたび
石龕寺へ・・・・・・
境内の梅はまだ盛り
参考サイト
「兵庫の山々 山頂の岩石」 1998年8月11日開設
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/kanayamin.html
ハイキングに行こうトップ『石戸山』 丹波市山南町 (2010年1月号に掲載)
http://33asahi.com/sanpo/201001.htm
【おぉたむすねィくAutumnsnake】廃墟探検部門 「そして、海へ」編集部 大西輝明、勅使河原賢明、松岡明芳
監修:唐山健志郎
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