天皇陵巡礼9(百舌鳥/ 仁徳・履中・反正の三天皇)


- GPS
- 03:05
- 距離
- 11.6km
- 登り
- 7m
- 下り
- 7m
コースタイム
- 山行
- 2:38
- 休憩
- 0:24
- 合計
- 3:02
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
天皇陵巡礼 第9弾。ついに地元、堺の三御陵を廻る。ルートは当初、履中天皇陵から県道30号線を一直線に北上 (北東) するルートを考えていたが、前日にできるだけ陵墓に沿って歩くルートに変更した。これは 仁徳天皇陵でもらったパンフレットの三御陵巡りのルートに近いものだった。
自転車で三国ヶ丘駅まで行き、南口に渡り、スタート。仁徳天皇陵の北端から南端まで東辺を南下。仁徳天皇陵の規模の大きさを感じながら歩くのだが、北端すぐに小さな源右衛門山古墳がある。仁徳天皇陵周辺には、こうした小さな古墳(陪塚 (ばいちょう))がたくさんある。
拝所では観光客がチラホラ。参拝、写真撮影がしにくいと嫌だなと思っていたが、問題なかった。配所内の脇で、説明員のお年寄りにもらったパンフレットを見ていたら(ルートの確認)、説明員に声を掛けられた。「詳しいから結構です」と言ったが、説明してこられる。明治時代になって墳墓に木々が植えられたなど 聞けてよかったが、仁徳天皇が「大鷦鷯天皇(おおさざきのすめらみこと)」という諡号を持つこともご存知なかった。ほとんど古墳としての説明をされているようだ。
大仙公園を通って履中天皇陵へ。北辺に展望台があるが、低い。
県道61号線から住宅地を経由し、履中天皇陵の濠沿いの道を行く。
配所の入り口は県道34号線沿いにある。さすがにここには誰もいないと思っていたが、参道を引き返す時に若い男性とすれ違った。入り口にレンタル自転車が置いてあった。
履中天皇陵の西辺を北上する。道の左側 (西側) は住宅地だが、遊歩道のように整備してある。
大仙公園の南辺に戻り、七観音古墳あたりから大仙公園に入り北上。公園を出、仁徳天皇陵西南角、朝日寺との間の遊歩道で、仁徳天皇陵西辺を北上 (北西) する。
まさに陪塚のごとく仁徳天皇陵にけなげに寄り添う小さな菰山塚古墳をぐるりと回って、交通量の多い中央環状線をわたると永山古墳。濠にはかわいい亀の甲羅干し、あるいはヒツジグサの花が見られ、楽しかった。
南海高野線を渡ってさらに北上。住宅街を縫うように行くが、迷ってしまった。すなおに けやき通りを行くほうがわかりやすい。
反正天皇陵は三国丘高校の北。濠もあり (水は一部のみ?) 陵墓自体は小さくないが、拝所はこじんまりしている。管理事務所は別に作られている。
その東辺から、陵墓のすぐ北にある方違 (ほうちがい) 神社へ。社伝によると、崇神天皇の御世というから紀元前創建だ。2000年以上の歴史ということになる。本堂は残念ながら建て替え中だったが、北からの陵墓が見られてよかった。
けやき通りで三国ヶ丘駅に戻る。方違神社の昔の参道にあったという くろがねもちの老木がある。大阪府指定天然記念物に指定されているとのこと。
9月末とはいえ暑く、しかもロングコースであったため、結構 疲れた。しかし 本日は私の誕生日。そんな日に日本一の規模を誇る陵墓を含む 地元の三天皇陵を廻ることができて 感慨もひとしおだ。
それとともに、摂津・河内・和泉の「三国 (みくに)」の「境 (堺)」を感じられたのもよかった。おとといの市長選ではどちらにも投票したくなくて、苦し紛れに「神武天皇」と書いた私だが、堺への愛着を感じることができた。
ちなみに市長選投票から帰ってから思ったのは、前もって考えておけば「仁徳天皇」と書けたのに ということ。
***
●第16代 仁徳(にんとく)天皇
【諡号】大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)
【生没】257〜399年(143歳)
【在位】315年1月〜399年1月 (約84年間)
【父】応神天皇 【母】仲姫命(なかつひめのみこと)
【皇后】磐之媛命(いわのひめのみこと),八田皇女(やたのひめみこ)
【皇居】大和 または大隅宮 → 難波高津宮(なにわのたかつのみや)
【陵所】百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。前方後円。考古学名は大仙陵古墳。墳丘長486m。
◇応神天皇崩御後、皇太子であった異母弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) は兄の大鷦鷯尊に皇位を譲ろうとしたが、大鷦鷯尊は受けることなく、空位が続いた。その間 ふたりの異母兄である大山守皇子 (おおやまもちのみこ) が皇位を狙って皇太子殺害を画策したが、ふたりの弟はこれを迎撃して大山守皇子を殺害。なおも兄弟は皇位を譲り合ったが、菟道稚郎子が自殺し、ついに大鷦鷯尊が即位した。
難波を都とする。人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づき、3年間 租税を免除。その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった という「記紀」の逸話(民のかまど)は有名。国力が回復すると、堀江(排水路)の開削、茨田堤(まんだつつみ) (堤防)の築造など、河内平野の大規模な開発をおこなった。一方 好色で皇后 磐之媛命の嫉妬に苛まれるという人間臭い一面も「記紀」に描かれている。
●第17代 履中(りちゅう)天皇
【諡号】大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)
【生没】?〜405年(?歳)
【在位】400年2月〜405年3月 (約5年1ヶ月間)
【父】仁徳天皇(第1子) 【母】磐之媛命
【皇后】草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)
【皇居】磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや) 現在の奈良県桜井市池之内
【陵所】百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)。前方後円。考古学名は上石津ミサンザイ古墳。墳丘長365m。
◇仁徳天皇崩御後、住吉仲皇子(すみのえのなかのみこ)が皇位を奪おうとして叛するが、弟の瑞歯別皇子(後の反正天皇)に誅殺させ、即位した。
諸国に「国史(ふみひと)」(書記官)を置き、中央と地方との意思疎通を文書でおこなうようになったという業績が伝えられている。
生年不詳。「古事記」には「壬申年正月三日」に64歳で崩ずと書かれているが、これに従うと 在位期間は427年から432年となり、また生年は369年ということになる。
「宋書」などに記される「倭の五王」の「讃」に比定されている。
●第18代 反正(はんぜい)天皇
【諡号】多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)
【生没】351?〜410年(60歳?)
【在位】406年1月〜410年1月 (約4年間)
【父】仁徳天皇(第3子) 【母】磐之媛命
【皇夫人】津野媛(つのひめ)
【皇居】丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや) 大阪府松原市上田七丁目の柴籬神社?
【陵所】百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)。前方後円。現在の堺市堺区北三国ヶ丘町2丁。考古学名は田出井山古墳。墳丘長148m。それとは別に、堺市北区百舌鳥西之町にある東百舌鳥陵墓参考地(ひがしもずりょうぼさんこうち)は反正天皇の空墓に想定されている。考古学名は土師ニサンザイ古墳。
◇淡路宮(淡路島?)生まれ。生まれながらにして歯並びが美しかったことから「瑞歯」の名があるという。容姿美麗で、「古事記」には 身長9尺2寸半、つまり約3mとある。父 仁徳天皇の崩後、叛乱を起こした同母兄の住吉仲皇子を誅殺(直接 手は下していない)。履中天皇2年に立太子。同6年 履中天皇が崩御し、翌年 即位。初の兄弟継承であった。同年 和珥津野媛を「皇夫人」に立てるが、皇族の妻を娶ることはなく、皇后、そして皇太子も立てなかった。河内丹比を都とし、在位4年は天下太平であったとのこと。「古事記」では「丁丑年七月」60歳で崩御とある。西暦437年に相当し、それに従うと生年は378年となる。
「宋書」などに記される「倭の五王」の「珍(彌)」に比定されている。
コメント
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MOZARTさん、こんばんは。そしてお誕生日おめでとうございます!
丁度この夏に「古墳の向きには意味があるのか?」と思い子供たちとこの辺りをクルクル回っておりました。博物館には「作りやすかった向き」などど言うなんの夢も無いことが書かれてましたが、古墳は礼拝所だった訳ですし私はきっと何かあるんじゃないかと思ってるのです。なのでまたクルクル回りに行きたいと思います。大好きなのは「いたすけ」です。壊れた橋のところで暫く待つと狸家族が現れます。パンを投げてやるのですが何匹かは疥癬にかかってしまったようで毛が抜けてしまい元気が無かったです・・・。きっとご存知だったでしょうけど、また見に行ってやってくださいね〜。上野芝の町に飲み込まれてしまった大塚山古墳とかも面白いですよ〜。ご近所さんのようなので町でお会いしそうですね、その時はよろしくです。
コメントをいただきまして驚きました。また まさかおめでとうをいただけるとは。。。大変 恐縮しております。お読みになるかたがおられるとは思いもよらなかったもので、文章の手直しに際して、ぞんざいな言い回しを改めました
堺のかたで、古墳に親しんでおられるのですね。私はニサンザイは時々 行くのですが、タヌキで有名な いたすけはまだ行ったことがありません。当初は今回 御廟山古墳とともに寄る予定だったのですが、変更したんです。またいずれ行きたいと思っています。
ところで「古墳の向き」ですが、作りやすい向きと書かれているというのは意外でした。大きな仁徳・履中両天皇陵(考古学上は大仙古墳・上石津ミサンザイ古墳ですけど)は、海(船)から見て、その威容・あるいは国力を示すのに最適な向きだったと思っていました。博物館も久しぶりに行こうと思っています。
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