岐阜バス東加茂バス停で下車。今回のスタートはここから。小雨が気になりますが、まずは北方の町歩きをしたいと思います。
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10/9 7:29
岐阜バス東加茂バス停で下車。今回のスタートはここから。小雨が気になりますが、まずは北方の町歩きをしたいと思います。
ちょっと道を歩いたところで…ワンちゃんがウロウロ。。近くに飼い主もいないし首輪はあるもののリードは無い。
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10/9 7:44
ちょっと道を歩いたところで…ワンちゃんがウロウロ。。近くに飼い主もいないし首輪はあるもののリードは無い。
匂いを嗅ぎながら歩き回ってます。心配でついていくと、200m四方ぐらいをウロウロしてました。わかりませんが恐らく近くで飼われている犬が脱走したのかも。
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10/9 7:53
匂いを嗅ぎながら歩き回ってます。心配でついていくと、200m四方ぐらいをウロウロしてました。わかりませんが恐らく近くで飼われている犬が脱走したのかも。
かれこれ40分ほど彼の後を追う…付近で畑作業をしている人など何人かに聞いて回りましたが、皆さんどこの犬か知らないと言われました。
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10/9 7:53
かれこれ40分ほど彼の後を追う…付近で畑作業をしている人など何人かに聞いて回りましたが、皆さんどこの犬か知らないと言われました。
しばらく後を追ってましたが、近くにいたおじさんと話をしていた間に姿を消してしまいました。無事に飼い主さんの元へ帰れることを願います。。
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10/9 7:54
しばらく後を追ってましたが、近くにいたおじさんと話をしていた間に姿を消してしまいました。無事に飼い主さんの元へ帰れることを願います。。
後ろ髪を引かれる思いですが。気を取り直して出発。「北方東口駅」跡。名鉄揖斐線の駅だった所です。2005年に廃線となりましたがホームもしっかり残ってます。
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10/9 8:16
後ろ髪を引かれる思いですが。気を取り直して出発。「北方東口駅」跡。名鉄揖斐線の駅だった所です。2005年に廃線となりましたがホームもしっかり残ってます。
北方町地下の馬頭観音・地蔵堂
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10/9 8:33
北方町地下の馬頭観音・地蔵堂
「郡界石」 旧本巣郡と旧方県(かたがた)郡の郡境を示す石があった場所。
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10/9 8:35
「郡界石」 旧本巣郡と旧方県(かたがた)郡の郡境を示す石があった場所。
郡界石(俗に夜泣石) 説明
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10/9 8:35
郡界石(俗に夜泣石) 説明
おそらくこの水路を分けて郡界となっていたのでしょう。この水路は北方城や北方陣屋の堀跡でもあったものです。
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10/9 8:36
おそらくこの水路を分けて郡界となっていたのでしょう。この水路は北方城や北方陣屋の堀跡でもあったものです。
時の太鼓(西順寺) この櫓の上に太鼓があり、明治維新までは時を知らせる太鼓を叩いて民衆に知らせていたそうです。
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10/9 8:39
時の太鼓(西順寺) この櫓の上に太鼓があり、明治維新までは時を知らせる太鼓を叩いて民衆に知らせていたそうです。
時の太鼓 説明
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10/9 8:38
時の太鼓 説明
北方町の本町筋。他の道と比べてこの道だけは幅が広いです。高札場や芭蕉の門人の旧宅跡などがありました。
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10/9 8:41
北方町の本町筋。他の道と比べてこの道だけは幅が広いです。高札場や芭蕉の門人の旧宅跡などがありました。
裏路地。
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10/9 8:50
裏路地。
円鏡寺楼門。鎌倉時代に建てられた立派な門。檜皮葺きの屋根が重みがあります。北方町のシンボル的存在。
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10/9 9:00
円鏡寺楼門。鎌倉時代に建てられた立派な門。檜皮葺きの屋根が重みがあります。北方町のシンボル的存在。
楼門の仁王像(吽)。下から覗き撮りさせてもらいました。
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10/9 9:02
楼門の仁王像(吽)。下から覗き撮りさせてもらいました。
楼門の仁王像(阿)。この仁王像は楼門のともに国の重要文化財に指定されています。
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10/9 9:02
楼門の仁王像(阿)。この仁王像は楼門のともに国の重要文化財に指定されています。
円鏡寺の楼門と金剛力士像 説明
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10/9 8:55
円鏡寺の楼門と金剛力士像 説明
円鏡寺の三重塔。こちらは町制施行100周年を記念して平成元年に建てられた新しいものです。
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10/9 9:09
円鏡寺の三重塔。こちらは町制施行100周年を記念して平成元年に建てられた新しいものです。
円鏡寺の魚供養観音菩薩。観音様が金の鯉を抱えてます。人間が生きるために犠牲になった多くの魚たちを供養するため建立されました。
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10/9 9:11
円鏡寺の魚供養観音菩薩。観音様が金の鯉を抱えてます。人間が生きるために犠牲になった多くの魚たちを供養するため建立されました。
円鏡寺の弁天堂。美濃七福神の弁財天。
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10/9 9:12
円鏡寺の弁天堂。美濃七福神の弁財天。
円鏡寺の池。ここは山号を池鏡山といい、境内に池を作った際に出土した明鏡を一条天皇に献上したのが由来だそうです。
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10/9 9:16
円鏡寺の池。ここは山号を池鏡山といい、境内に池を作った際に出土した明鏡を一条天皇に献上したのが由来だそうです。
円鏡寺本坊。円鏡寺には多くの文化財が保存されており「美濃の正倉院」とも呼ばれているそうです。
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10/9 9:18
円鏡寺本坊。円鏡寺には多くの文化財が保存されており「美濃の正倉院」とも呼ばれているそうです。
円鏡寺を後にして北へ。北方船町の北方温泉。昔ながらの銭湯。
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10/9 9:23
円鏡寺を後にして北へ。北方船町の北方温泉。昔ながらの銭湯。
名鉄揖斐線の北方千歳駅跡。こちらもホームはまだしっかりと残っていました。レールはありませんが、枕木も少し残っています。
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10/9 9:25
名鉄揖斐線の北方千歳駅跡。こちらもホームはまだしっかりと残っていました。レールはありませんが、枕木も少し残っています。
安東伊賀守守就戦死の地跡。ここは旧揖斐線の線路跡を利用して整備しています。
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10/9 9:27
安東伊賀守守就戦死の地跡。ここは旧揖斐線の線路跡を利用して整備しています。
史蹟 安東守就戦死地の碑。民家の間にポツンとありました。西美濃三人衆の一人として活躍しましたが、最後は同じ三人衆の一人だった稲葉一鉄に敗れ戦死。
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10/9 9:28
史蹟 安東守就戦死地の碑。民家の間にポツンとありました。西美濃三人衆の一人として活躍しましたが、最後は同じ三人衆の一人だった稲葉一鉄に敗れ戦死。
安東伊賀守守就戦死の地 説明
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10/9 9:28
安東伊賀守守就戦死の地 説明
戸羽町からまた西へ進みます。街灯はスイセンをイメージ。ここから街道歩き再開です。
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10/9 9:31
戸羽町からまた西へ進みます。街灯はスイセンをイメージ。ここから街道歩き再開です。
啓文社記念館。大正15年に建築された北方町内で、現存する最も古い時期に建てられた鉄筋コンクリート造の建築物。
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10/9 9:34
啓文社記念館。大正15年に建築された北方町内で、現存する最も古い時期に建てられた鉄筋コンクリート造の建築物。
途中で右折し美濃北方駅跡への路地。
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10/9 9:37
途中で右折し美濃北方駅跡への路地。
名鉄揖斐線・美濃北方駅跡。両面ホームはちゃんと残ってます。大正3年に岐北軽便鉄道の駅として開業していらい、町の玄関口として賑わいましたが2005年に廃線となってしまいました。何年か前に来たときは駅舎も残っていましたが、今は更地になってました。
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10/9 9:39
名鉄揖斐線・美濃北方駅跡。両面ホームはちゃんと残ってます。大正3年に岐北軽便鉄道の駅として開業していらい、町の玄関口として賑わいましたが2005年に廃線となってしまいました。何年か前に来たときは駅舎も残っていましたが、今は更地になってました。
北へ向かい高砂町のお堂。常夜灯には谷汲山・金毘羅大神と刻まれています。ここより本巣市(旧・糸貫町)に入り北進します。
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10/9 9:47
北へ向かい高砂町のお堂。常夜灯には谷汲山・金毘羅大神と刻まれています。ここより本巣市(旧・糸貫町)に入り北進します。
高砂町の秋葉神社付近。秋葉神社の前に道標があり、道路の左に馬頭観音堂があります。
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10/9 9:50
高砂町の秋葉神社付近。秋葉神社の前に道標があり、道路の左に馬頭観音堂があります。
秋葉神社前の道標。中央に「南無観世音」。「左いび三里」。「右たにくみ三里半」
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10/9 9:51
秋葉神社前の道標。中央に「南無観世音」。「左いび三里」。「右たにくみ三里半」
秋葉神社向かいの馬頭観音さま。この場所の西(現・岐阜第一高あたり)には戦後わずか6年間だけ存在した北方競馬場があったそうです。この観音さまはそのお馬さんたちの供養のために建立されたと聞きました。
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10/9 9:53
秋葉神社向かいの馬頭観音さま。この場所の西(現・岐阜第一高あたり)には戦後わずか6年間だけ存在した北方競馬場があったそうです。この観音さまはそのお馬さんたちの供養のために建立されたと聞きました。
しばらく進み国道157号を横断し、国道303号沿いに西進。糸貫川に架かる本巣橋を渡ります。
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10/9 10:03
しばらく進み国道157号を横断し、国道303号沿いに西進。糸貫川に架かる本巣橋を渡ります。
糸貫川は現在でこそ席田用水分水路として細々と流れていますが、昔の根尾川本流であり堂々たる川だったそうです。
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10/9 10:03
糸貫川は現在でこそ席田用水分水路として細々と流れていますが、昔の根尾川本流であり堂々たる川だったそうです。
国道303号と別れ左の道へ進みます。
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10/9 10:07
国道303号と別れ左の道へ進みます。
樽見鉄道の踏切を渡る。
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10/9 10:09
樽見鉄道の踏切を渡る。
「富有柿」。本巣市(旧・糸貫町)の特産品です。食べごろまではもう少しかかりそう。この辺りは柿畑でいっぱいです。
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10/9 10:10
「富有柿」。本巣市(旧・糸貫町)の特産品です。食べごろまではもう少しかかりそう。この辺りは柿畑でいっぱいです。
現在の読み方ではそのまま「はやの」ですが、以前はこの字で「ときの」と読んでいたそうです。それよりさらに前は「土岐野」と書いていたのですが、「早野」変更し、さらにはこれでは誰もちゃんと読んでくれないだろうとのことで「はやの」と読むようになったそうです。
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10/9 10:15
現在の読み方ではそのまま「はやの」ですが、以前はこの字で「ときの」と読んでいたそうです。それよりさらに前は「土岐野」と書いていたのですが、「早野」変更し、さらにはこれでは誰もちゃんと読んでくれないだろうとのことで「はやの」と読むようになったそうです。
土貴野(ときの)神社。明治の大合併で近隣の3村が合併した際に「土貴野村」となったことが由来のようです。また文字が変わったんですね。頭が混乱しそう。。
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10/9 10:27
土貴野(ときの)神社。明治の大合併で近隣の3村が合併した際に「土貴野村」となったことが由来のようです。また文字が変わったんですね。頭が混乱しそう。。
土貴野神社の隣にある忠魂堂。
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10/9 10:28
土貴野神社の隣にある忠魂堂。
忠魂堂にある中島武市の銅像。明治29年に早野で生まれた人で、若くして北海道帯広に渡り洋裁店みつわやを経営。その後は帯広の政治・経済界の名士として名をはせた人物。また、歌手の中島みゆきの祖父でもあります。
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10/9 10:36
忠魂堂にある中島武市の銅像。明治29年に早野で生まれた人で、若くして北海道帯広に渡り洋裁店みつわやを経営。その後は帯広の政治・経済界の名士として名をはせた人物。また、歌手の中島みゆきの祖父でもあります。
中島武市 頌徳碑
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10/9 10:36
中島武市 頌徳碑
忠魂堂をはじめ土貴野神社の鳥居や忠魂碑の鳥居・名標も中島武市が寄付しました。
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10/9 10:34
忠魂堂をはじめ土貴野神社の鳥居や忠魂碑の鳥居・名標も中島武市が寄付しました。
国道を西へ進み土貴野ばら公園前にある地蔵堂。
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10/9 10:43
国道を西へ進み土貴野ばら公園前にある地蔵堂。
お地蔵さんにお参りをして…ちょっと失礼お花をどけさせて頂きました。
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10/9 10:42
お地蔵さんにお参りをして…ちょっと失礼お花をどけさせて頂きました。
左いびみち・きよみず 右かずや舟渡・??解読できず…
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10/9 10:42
左いびみち・きよみず 右かずや舟渡・??解読できず…
「七五三」と書いて「シメ」と読む。明治初期の大区小区制で当地は第七大区の第五小区にあたり、その中の三つの村が合併したのが由来。 しめ縄の事を「七五三縄」とも書き、「七五三(しめ)」という名字の方もいるらしいです。
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10/9 10:48
「七五三」と書いて「シメ」と読む。明治初期の大区小区制で当地は第七大区の第五小区にあたり、その中の三つの村が合併したのが由来。 しめ縄の事を「七五三縄」とも書き、「七五三(しめ)」という名字の方もいるらしいです。
旧・糸貫町マンホール。中央にいるのは町のキャラクター「柿ちゃん」です。やっぱり「富有柿の町」です。
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10/9 10:49
旧・糸貫町マンホール。中央にいるのは町のキャラクター「柿ちゃん」です。やっぱり「富有柿の町」です。
薮川橋の東詰にあるオブジェ「極」。 人と産業と自然が寄り添い、永久に栄え伸びゆく町を、3本の柱に現す。
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10/9 11:00
薮川橋の東詰にあるオブジェ「極」。 人と産業と自然が寄り添い、永久に栄え伸びゆく町を、3本の柱に現す。
根尾川に架かる薮川橋の親柱。旧糸貫町の特産である柿のデザイン。
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10/9 11:11
根尾川に架かる薮川橋の親柱。旧糸貫町の特産である柿のデザイン。
根尾川を渡ります。旧薮川橋はこの500mほど上流にありました。
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10/9 11:14
根尾川を渡ります。旧薮川橋はこの500mほど上流にありました。
根尾川を渡ると大野町へ入ります。こちらも「柿のまち」です。
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10/9 11:17
根尾川を渡ると大野町へ入ります。こちらも「柿のまち」です。
大野町側の親柱はモミジ。葉の色が7回変わる「野村モミジ」があります。
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10/9 11:17
大野町側の親柱はモミジ。葉の色が7回変わる「野村モミジ」があります。
薮川橋の西詰にある時計塔。ライオンズクラブが寄贈したもの。
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10/9 11:18
薮川橋の西詰にある時計塔。ライオンズクラブが寄贈したもの。
「考えよ」と怒られました…。
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10/9 11:17
「考えよ」と怒られました…。
堤防沿いを上流へ進み旧薮川橋が架かっていた所を西へ折れる。
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10/9 11:24
堤防沿いを上流へ進み旧薮川橋が架かっていた所を西へ折れる。
黒野東区の交差点。昔ながらのゼブラ柄一つ目信号。
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10/9 11:30
黒野東区の交差点。昔ながらのゼブラ柄一つ目信号。
黒野常盤町のUFO街灯。少しずつ昭和の町の風情が出てきました。
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10/9 11:38
黒野常盤町のUFO街灯。少しずつ昭和の町の風情が出てきました。
さらに西へ進むと地蔵堂があり
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10/9 11:42
さらに西へ進むと地蔵堂があり
そして旧名鉄谷汲線の線路跡を渡ります。
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10/9 11:44
そして旧名鉄谷汲線の線路跡を渡ります。
三水川に架かる三水橋を渡り右折。
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10/9 11:47
三水川に架かる三水橋を渡り右折。
三水川の上流をみると桜並木が両側にある。正面の山は大谷山でしょうか。
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10/9 11:47
三水川の上流をみると桜並木が両側にある。正面の山は大谷山でしょうか。
川の中で鴨が泳いでました。
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10/9 12:39
川の中で鴨が泳いでました。
大野総合町民センターの南にあった「かかしコンテスト」。力作ぞろいですねぇ。
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10/9 11:51
大野総合町民センターの南にあった「かかしコンテスト」。力作ぞろいですねぇ。
新米欲しい…
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10/9 11:51
新米欲しい…
美濃国大野郡十条五里三十六坪北縄並西縄…大昔の条里制の当地名です。
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10/9 11:55
美濃国大野郡十条五里三十六坪北縄並西縄…大昔の条里制の当地名です。
平安時代ごろには一辺一町(109m)の正方形に区切られた水田が整備され、それを北から6つで1条、2条。西から6つで1里、2里と数え、それを合わせて「十条五里」というような地名にしていたそうです。現在の札幌市に似てますかね。
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10/9 11:56
平安時代ごろには一辺一町(109m)の正方形に区切られた水田が整備され、それを北から6つで1条、2条。西から6つで1里、2里と数え、それを合わせて「十条五里」というような地名にしていたそうです。現在の札幌市に似てますかね。
大野町の条里制地図
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10/9 12:42
大野町の条里制地図
大野町総合町民センター。図書館も併設していたので少し寄ってみました。
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大野町総合町民センター。図書館も併設していたので少し寄ってみました。
大野町のゆるキャラ「パーシーちゃん」。
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10/9 13:17
大野町のゆるキャラ「パーシーちゃん」。
そして同じく「ローズちゃん」。
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10/9 13:17
そして同じく「ローズちゃん」。
「大野バスセンター」。町民センターと町役場のすぐ隣にあります。今回はここまで。
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10/9 11:53
「大野バスセンター」。町民センターと町役場のすぐ隣にあります。今回はここまで。
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