面河〜石鎚山・瓶ヶ森・自念子の頭



- GPS
- 37:00
- 距離
- 33.2km
- 登り
- 2,351m
- 下り
- 1,843m
コースタイム
7/17:山荘しらさ(車)⇒瓶ケ森登山口→瓶ケ森→西黒森→自念子ノ頭→山荘しらさ ※時間記録なし
天候 | 7/16:晴のち曇。 7/17:大雨のち晴。 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス
(復路)山荘しらさより車で高知市 |
感想
【7/16(日)】
高知にいる間にぜひ西日本最高峰の石鎚山に登ってみたかった。同僚S君を誘う。松山行きのJRバスで御三戸下車、面河行きのバスに乗り換える。
面河バス停からはまず面河渓を上る。一般歩道のどん詰まり辺りから左へ登山道が始まる。先を行くS君は長い脚でどんどんペースを上げていく。自分は前日、野球で投手をやって大腿がパンパンに張っていたので、きつかった。最初1時間は黙々と登る。
そのうち尾根に出て少し楽になった。面河山を巻くと、眼下に面河の谷が見える。その先にはなだらかな斜面が一面花畑になっていた。愛大小屋まで着いて一息入れるが、すぐに歩き出す。結局、地図上のコースタイム5時間30分のところを、3時間10分で登り切ってしまった。
石鎚山弥山山頂(石鎚神社)付近からは瀬戸内海が一望できた。高知県側から来ると、瀬戸内海を見渡せるピークに来たことが、別世界に来たかのような感慨を覚える。天狗岳が目の前に聳えるが、誰もそちらに向かっている人がいない。風が強いこともあって、そちらへ行くことはやめた。(最近の記録を見ると、実に多くの人が天狗岳まで行っている。当時も道はあったのだろうが、誰も向かっていなかったゆえ、行くには覚悟を伴うと感じたのだと思う。)
午後3時過ぎには雲が上ってきて、辺りはすっかり霞んでしまった。鎖場を経由して、土小屋方向へ下る。このルートからはごつごつとした表側(松山側)からの石鎚山の山容がよくわかる。ペースを落として歩いていたら、土小屋到着時には薄暗くなっていた。そこからシラザ峠まで物凄いペースで歩く。くたくたになった。
(シラザ峠のことは民俗学者・宮本常一『忘れられた日本人』の中の「土佐寺川夜話」で、「シライという峠あたりは…」と出てきます。)
山荘しらさは高知・愛媛県境上にあって、高知県本川村営(当時)。大きくて立派な建物だった。山荘の主人にこの日のルートと所要時間を話したら、クレイジーだと驚かれた。面河登山口から石鎚山へのルートは、石鎚山に登るルートの中でも一番しんどいルートとのことだった。S君と自分はこの月、共に異動することになっていた。高知での出来事やら今後のことやらを夜半まで話しこんだ。
【7/17(月)】
朝から大雨。とても歩ける状態ではないので、諦めて下山しようとした。しかし10時過ぎに雨が上がり霧も晴れて、青空が見えてきた。山荘前からは、目標としていた瓶ケ森、西森山、さらに東森山、伊予富士など県境の連山が見えてきた。昼前に登山決行、出遅れたので山荘の車で瓶ヶ森登山口へ向かう。
瓶ヶ森は頂上に至るまで、石鎚山の上り同様、一面の笹原が続いていた。頂上からは石鎚山の正面、瀬戸内海。
そして目を転じて高知側を見ると、山々が幾重にも連なっているのが見える。その先に太平洋らしきが見えた気がするが、定かでない。海までの距離が瀬戸内海までとは違い、圧倒的に遠い。「高知は山国」だと言う。ひだのように延々と山が折り重なって続く様子は、その言葉が実感できる風景だった。快晴だとここから室戸岬も見えるらしい。瀬戸内海から太平洋まで、四国が一手に収められるかのようだ。
朝のうちの雨が嘘のように空は晴天、日差しは強かったが、空気は乾いて涼しかった。風が心地よかった。昼食がてら小一時間、頂上にいた。
この後は時間の許す限り、尾根を縦走しようということになり、ひたすら歩く。アップダウンが激しく、藪の中のものすごい急斜面を両手を使って登ったり、なかなかハードだった。自念子の頭まで行って、引き返す。復路は急いでいたので、林道を走るようにして戻る。何かもう、二人して意地になって歩いていた。
山荘しらさに戻ると主人が、高知へ行く用事かあるので、車に乗せていってやるという話になった。ラッキーだった。
(2012年6月 記)
【番外編】
御三戸で面河行きバスを待っていた時のこと。ある町から乗車し一緒に下車したおばさんと、時間潰しの話をしていた。我々は石鎚山に行くところだと話すと、自分もそうだという。問わず語りで彼女が話し出したのは、実は近所の人が“犬憑き”になったので、そのお祓いに行くという。犬憑きとはどういうことかと問うと、具体的に話し出したのだが、……(その描写は割愛します)。我々はその話にぎょっとして呆然としたのだが、彼女自身は特におかしな様子に見えず、ごく普通の口調で話すのだった。どこまで信じてよいものかわからず、胡散臭い話だと思っていたが、翌1996年、小説「死国」が出た。高知県出身の作者によって書かれたものだが、当時の高知県にはこうした土俗的なものがまだ残っていたのかもしれない。今はどうなのでしょうか…。
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