御巣鷹の尾根 慰霊登山
- GPS
- --:--
- 距離
- 2.8km
- 登り
- 585m
- 下り
- 563m
コースタイム
10:00 慰霊の園
10:40 登山口
11:00 昇魂の碑(御巣鷹の尾根)
11:40 登山口
天候 | 曇り 気温30度と蒸し暑い |
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過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
上野村内の「慰霊の園」に寄る R462→楢原郵便局を左折→県道124号→御巣鷹の尾根の看板を左折→道なりに(8kmほど) 県道から先はいくつもトンネルを抜け、その後は道路に落石が転がってるような道になり対向車に気をつけながら進む。舗装はされてます。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山口には杖がたくさん用意され自由に使えます。 登山者数を数える数取機が設置されてました。 登山口から昇魂の碑までは整備された道ができています。 登山道の所々に休憩用のベンチがあり、トイレも1ヵ所あります。 案内板によると距離800m 高低差180mです。 地図はずれてるようです(汗) |
写真
感想
ヤマレコにここの記録は少ないですね。
ちょっと趣旨が違うからなのでしょうか…。
でもこういう山もあることを知ってもらいたいから載せていいですよね。
今年の8月で27年が経とうとしている日航機墜落事故の現場です。
御巣鷹の尾根へ慰霊登山をしてきました。今回が3度目です。
御巣鷹山として有名ですが実際は高天原山頂近くの尾根になります。
上野村から登山口までは12kmほどあります。
毎年事故のあった日にはたくさんの遺族の方々が登るのでよく整備された道になっています。途中にベンチも設置されています。
20〜30分で昇魂の碑(墜落現場)まで行けますが、今日は暑かったので汗びっしょりになりました。運動靴でも行けますがトレッキングシューズの方が楽だと思います。
碑の向かいの山には機体の右主翼がぶつかって削られたU字溝が今でも残ってます。
その後機体が裏返しの状態で御巣鷹の尾根に墜落したそうです。
尾根には炭化した木が当時のまま残ってます。
その周りにはなくなった方々の墓標があちこちに立てられています。
それを見ると何とも言えない気持ちになります。
尾根の裏側には「すげの沢」という場所があります。機体後部が折れて反対側斜面をずり落ちた所です。ここにはたくさんの墓標があります。
何度も手を合わせて回りました。
坂本九さんの墓標も。
墓標には享年が記載されているものが多いですがお子さんが多いです。お盆中で帰省のために乗ってる子がたくさんいたそうです。
一時間程度でぐるっと回れます。
シャツはびっしょりになったので駐車場に戻ってすぐに着替えました。
誰にも会わず仕舞いでしたがこんな山の奥で犠牲者の方々と自分だけがこの現場にいるんだな〜と思うとただただ犠牲者の方々の冥福を祈るばかりでした。
奥秩父にはこの山があることを忘れないでおいて欲しいなぁと思いました。
コメント
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初めまして、ミクニと申します。拍手は遠慮させていただきます。初めて見る写真ばかりです。弊社の一人も犠牲になりました。大阪支社勤務の部長で私が大変お世話になった方です。当日の夜の報道は今でも鮮明におぼえています。
改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
はじめまして。コメントありがとうございます。
お世話になった方が犠牲になられたんですね。。。
それは忘れることの出来ない事ですね。
私は子供の頃だったんですがどうも他人事のように思えず毎年慰霊登山するようになりました。
忘れ去られないようにと思い記事アップさせていただきました。
この事故当時、飛行機が揚力をなくした最中にご家族にメモを残した男性がいらっしゃりマスコミにも多く取り上げられました。
実はこの方は私が勤務していた会社の大阪支店長でした。
単身赴任されていました。
私の所属していた課の会議に出席の為前日に東京本社にいらっしゃり、その帰途の事故でした。
もう一人ご一緒のはずがチケットがとれず別便になりました。
当日の朝、会社に出社するとなんだかあわただしく確認の電話で忙しかったのを思い出します。
信じがたい一報に接し言葉を失いました。
事故前日は私の隣で丸い小さなゴミ箱に気さくに腰掛けて、まわりの同僚と仕事の話を熱く語り合っていらっしゃいました。
事故に遭われた一人ひとりの方に、多くのご遺族がいらっしゃり、大変な思いをされていることと思います。
何年経っても忘れることができません。
ご冥福をお祈りしています。
慰霊登山ありがとうございます。
はじめまして。コメントありがとうございます。
前日一緒にいらした方が犠牲になったんですか。
それは辛かったでしょうね。。。
不意の事故や災害で身近な人を亡くすというのはホントに辛いと思います。遺族の方々の悲痛な気持ちは墓標や思い出の品々が置かれた小屋に見ることができました。
いろんなことを考えさせてくれる場所です。
小学校5年生の夏休みでした。大変な衝撃を感じました。成人してから、関連の書物を多数読みました。
以前から訪れたいと思っていた場所です。
いつか必ず訪れたいと思います。
はじめまして。コメントありがとうございます。
私は6年生でした。同世代ですね。
私の場合は大人になってからこの事故が他人事に感じられなくなりました。
距離的に近いこと、身近にこの事故の救援活動に関わった人がいることが大きいと思います。
初めてここを訪れた時のショックは大きかったです。
継続的に来なければ…となぜか感じました。
是非一度訪れてみてください。
多くの人にここで起きたことを見てもらいたいです。
はじめまして、大学1回生だったあの日、
アルバイトから帰ったら、テレビが、昨年の震災の当日
のような感じで、機影が消えたけども、どこに墜落したのかわからず、テレビが大変なことになってた記憶が
あります。それからも、阪神大震災、地下鉄サリン、東日本大震災と、ありましたが、この事故も決して風化させては、いけないできごとですね。
はじめまして。コメントありがとうございます。
テレビ等の報道が昨年の震災の時のように連日すごかったのは記憶しています。
女の子がヘリに釣り上げられて救助される映像は忘れられません。
最近の若い世代はこの事故の事は知らないかもしれませんね〜。
風化させたくないです、ホントに。
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