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Yamareco

記録ID: 2047404
全員に公開
ハイキング
東海

瀬戸街道を歩く(名古屋・大曽根〜瀬戸)

2019年10月04日(金) [日帰り]
 - 拍手
GPS
05:28
距離
21.7km
登り
80m
下り
20m

コースタイム

日帰り
山行
5:33
休憩
0:15
合計
5:48
距離 21.7km 登り 114m 下り 25m
8:02
0
大曽根E6地下出口
8:02
0:00
38
塩付街道出合
8:40
0:00
15
長母寺
8:55
0:00
10
矢田橋
9:05
0:00
35
守山城址
9:40
0:00
40
旧笠寺道駅跡
10:20
0:00
40
八劔神社
11:00
0:00
20
良福寺
11:20
0:00
15
渋川神社
11:35
11:50
5
昼食
11:55
0:00
35
砂川公園・水野街道分岐
12:30
0:00
60
南原山・追分
13:30
0:00
20
瀬戸・追分
13:50
名鉄尾張瀬戸駅
街道文化財の一部に「差別用語」があるが、歴史文化財としてそのまま記述した。
天候 曇りのち晴れ
過去天気図(気象庁) 2019年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
往 名古屋駅〜JR〜大曽根駅
復 尾張瀬戸駅〜名鉄〜大曽根駅〜JR〜名古屋駅
コース状況/
危険箇所等
問題なし
大曽根地下鉄出口E6前。大曽根道標。昔は六叉路北東・瀬戸線ガード付近にあったが区画整理等でここへ移設。本日はこの地図一番下の瀬戸街道を瀬戸まで歩く。
大曽根地下鉄出口E6前。大曽根道標。昔は六叉路北東・瀬戸線ガード付近にあったが区画整理等でここへ移設。本日はこの地図一番下の瀬戸街道を瀬戸まで歩く。
『西側:右いゐたみち(飯田道)、北側:左江戸みち・ ぜんくゎうじみち(善光寺道)』瀬戸街道の名称は明治以降の官製。江戸期は塩や物産輸送で「信州飯田街道」や「信州中馬道」等とも呼ばれた。
『西側:右いゐたみち(飯田道)、北側:左江戸みち・ ぜんくゎうじみち(善光寺道)』瀬戸街道の名称は明治以降の官製。江戸期は塩や物産輸送で「信州飯田街道」や「信州中馬道」等とも呼ばれた。
『西側:右いゐたみち(飯田道)、東側:延享元甲子年二月(江戸中期1744年)』瀬戸北の定光寺に尾張藩初代藩主・義直廟あり「定光寺道」「御成道」「殿様街道」等の名称。又、定光寺と瀬戸間の「水野代官所」設置で「水野街道」とも呼称。
『西側:右いゐたみち(飯田道)、東側:延享元甲子年二月(江戸中期1744年)』瀬戸北の定光寺に尾張藩初代藩主・義直廟あり「定光寺道」「御成道」「殿様街道」等の名称。又、定光寺と瀬戸間の「水野代官所」設置で「水野街道」とも呼称。
<大曽根3>地下出口E6付近より北東。ここから東進とヤナセの間が下街道(善光寺道)で北に真っ直ぐ進む。瀬戸街道は交差点より一本目角の交番を右折。
<大曽根3>地下出口E6付近より北東。ここから東進とヤナセの間が下街道(善光寺道)で北に真っ直ぐ進む。瀬戸街道は交差点より一本目角の交番を右折。
<山田1>交番右折。JR中央線の高架が前に。その下を潜る。道なりに真っ直ぐ進むと道が次第に狭くなり、南からの塩付街道と合流。
<山田1>交番右折。JR中央線の高架が前に。その下を潜る。道なりに真っ直ぐ進むと道が次第に狭くなり、南からの塩付街道と合流。
<矢田4>南の矢田5交差点からの「塩付街道」合流点。左から右へ進んでいく瀬戸街道。左に座禅の看板。信州飯田方面へ瀬戸・品野経由で物産貨物を中馬で運搬。
<矢田4>南の矢田5交差点からの「塩付街道」合流点。左から右へ進んでいく瀬戸街道。左に座禅の看板。信州飯田方面へ瀬戸・品野経由で物産貨物を中馬で運搬。
東の名鉄瀬戸線「矢田駅」方面への瀬戸街道。矢田駅西の踏切を渡りすぐ矢田川に架かる矢田川橋出合。本日はここの西にある漸東寺と白山神社に立ち寄る。
東の名鉄瀬戸線「矢田駅」方面への瀬戸街道。矢田駅西の踏切を渡りすぐ矢田川に架かる矢田川橋出合。本日はここの西にある漸東寺と白山神社に立ち寄る。
「漸東禅寺」山門。天文年間(16世紀中期)の矢田川決壊時に漂着した薬師如来を祀る。江戸中期(1767年)まで矢田川はこの寺のすぐ北を流れていた。
「漸東禅寺」山門。天文年間(16世紀中期)の矢田川決壊時に漂着した薬師如来を祀る。江戸中期(1767年)まで矢田川はこの寺のすぐ北を流れていた。
「鳳来山漸東禅寺」。寺号は「前述の漂着した薬師如来が鳳来寺山鳳来寺本尊と同じ木から彫られたもの」との伝承による?写真は境内にある石仏。
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「鳳来山漸東禅寺」。寺号は「前述の漂着した薬師如来が鳳来寺山鳳来寺本尊と同じ木から彫られたもの」との伝承による?写真は境内にある石仏。
漸東寺の西の白山神社内にて。「支那事変記念」なのか?戦争時の神社の役割を思うと悲しくなる。
漸東寺の西の白山神社内にて。「支那事変記念」なのか?戦争時の神社の役割を思うと悲しくなる。
白山神社。矢田川氾濫等で漸東寺境内の鎮守社が付近の神明社と移設合祀?瀬戸街道沿いにはなぜか白山神社が多数存在。
白山神社。矢田川氾濫等で漸東寺境内の鎮守社が付近の神明社と移設合祀?瀬戸街道沿いにはなぜか白山神社が多数存在。
木ヶ崎公園を北に入って長母寺へ。この公園も昔は矢田川だった。長母寺はそれまで川の北側の守山にあった。かつて矢田川は相当な暴れ川だったのだ。
木ヶ崎公園を北に入って長母寺へ。この公園も昔は矢田川だった。長母寺はそれまで川の北側の守山にあった。かつて矢田川は相当な暴れ川だったのだ。
高台上となっている静かで広い長母寺。山田重忠1179年創建。開山は無住国師。矢田川北台地端にあったが、氾濫で矢田川南台地となる。
高台上となっている静かで広い長母寺。山田重忠1179年創建。開山は無住国師。矢田川北台地端にあったが、氾濫で矢田川南台地となる。
長母寺山門付近の不動明王石像。尾張国星崎城主。「山田重忠」は承久の変で宮方武将として活躍。だが、最後は自害。無住国師による『沙石集』では「強力な武将だが、信仰篤く、心優しく優れた人」とされる。
長母寺山門付近の不動明王石像。尾張国星崎城主。「山田重忠」は承久の変で宮方武将として活躍。だが、最後は自害。無住国師による『沙石集』では「強力な武将だが、信仰篤く、心優しく優れた人」とされる。
長母寺内の石仏。
長母寺内の石仏。
長母寺北の墓地より矢田川対岸北の「宝勝寺」=「守山城跡」を見る。長母寺の方に守山城との関係を聞いてみたが、城との関係を残す記録は一切ないとのこと。
長母寺北の墓地より矢田川対岸北の「宝勝寺」=「守山城跡」を見る。長母寺の方に守山城との関係を聞いてみたが、城との関係を残す記録は一切ないとのこと。
右手が名鉄瀬戸線の「矢田駅」。この辺りは江戸中期までは矢田川。
右手が名鉄瀬戸線の「矢田駅」。この辺りは江戸中期までは矢田川。
矢田川橋を渡る。橋上は瀬戸街道。
矢田川橋を渡る。橋上は瀬戸街道。
矢田川を渡り、振り返って南西を見る。先程までいた長母寺の森が見えた。
矢田川を渡り、振り返って南西を見る。先程までいた長母寺の森が見えた。
右が瀬戸街道。左は宝勝寺や白山神社へ向かう参道に繋がる旧道。この分岐点角に石灯籠と小社がある。
右が瀬戸街道。左は宝勝寺や白山神社へ向かう参道に繋がる旧道。この分岐点角に石灯籠と小社がある。
<守山市場>奥行きの深い郷社、白山神社。境内が南北に細長く広い。近隣6ヶ村の総氏神。境内全体が守山白山古墳上にある。墳長95m前方後円墳で守山古墳群では最大。
<守山市場>奥行きの深い郷社、白山神社。境内が南北に細長く広い。近隣6ヶ村の総氏神。境内全体が守山白山古墳上にある。墳長95m前方後円墳で守山古墳群では最大。
<守山市場>宝勝寺。昔は先程の長母寺と一体化していたとの説も。記録無。氾濫前は2つの寺は川北で並んでいたのか?宝勝寺北裏に守山城址。1535年(天文4)織田信秀の弟・信光(松平信定娘婿)居城。信光内応より家康祖父・松平清康が着陣の際「守山(森山)崩れ」。
<守山市場>宝勝寺。昔は先程の長母寺と一体化していたとの説も。記録無。氾濫前は2つの寺は川北で並んでいたのか?宝勝寺北裏に守山城址。1535年(天文4)織田信秀の弟・信光(松平信定娘婿)居城。信光内応より家康祖父・松平清康が着陣の際「守山(森山)崩れ」。
17世紀中期(寛永14)大永寺七世大渓良澤和尚建立。守山の名は連歌師宗長が「花にけふ風を関守山路哉」と詠んだ句が初見らしい。
17世紀中期(寛永14)大永寺七世大渓良澤和尚建立。守山の名は連歌師宗長が「花にけふ風を関守山路哉」と詠んだ句が初見らしい。
守山城址。1555年信光が那古野城に移り、弟・信次が城主。1573年(天正元)小谷城攻めの長政自害後、お市と娘三姉妹が信次に預けられ、守山城に一年間程滞在?
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守山城址。1555年信光が那古野城に移り、弟・信次が城主。1573年(天正元)小谷城攻めの長政自害後、お市と娘三姉妹が信次に預けられ、守山城に一年間程滞在?
宝勝寺と白山神社の間の民家前の小道にある祠と小さな石仏と不動明王。いかにもこの付近の歴史を語っているような趣がある仏。
宝勝寺と白山神社の間の民家前の小道にある祠と小さな石仏と不動明王。いかにもこの付近の歴史を語っているような趣がある仏。
古墳上にある白山神社。宝勝寺・白山神社は台地上に近距離で並んでいる。「白山神社」は東隣の小幡にも2つある。
古墳上にある白山神社。宝勝寺・白山神社は台地上に近距離で並んでいる。「白山神社」は東隣の小幡にも2つある。
<町北>瀬戸街道北の誓願寺への入口にある「庚申寺」の石標。建設予定?
<町北>瀬戸街道北の誓願寺への入口にある「庚申寺」の石標。建設予定?
<町北>瀬戸街道沿い。天王社
<町北>瀬戸街道沿い。天王社
<守山図書館前>守山市役所跡に図書館があり、昭和38年(1963)の名古屋市と守山市の合併、守山区の誕生の解説板。
<守山図書館前>守山市役所跡に図書館があり、昭和38年(1963)の名古屋市と守山市の合併、守山区の誕生の解説板。
<守山>ゆとりーとラインの下を潜る。モノレールのようだが、ガイドウェイバス路線で高架上をバスが走る。(大曽根〜高蔵寺間)
<守山>ゆとりーとラインの下を潜る。モノレールのようだが、ガイドウェイバス路線で高架上をバスが走る。(大曽根〜高蔵寺間)
<自衛隊守山駐屯地>司令部前。
<自衛隊守山駐屯地>司令部前。
<旧笠寺道駅跡>名古屋の四観音道の1つ笠寺道(龍泉寺道)上にあった名鉄笠寺道駅跡。空き地の場所。笠寺観音〜塩付街道〜安田付近〜覚王山〜山口街道〜茶屋が坂〜矢田川〜小幡〜龍泉寺。
<旧笠寺道駅跡>名古屋の四観音道の1つ笠寺道(龍泉寺道)上にあった名鉄笠寺道駅跡。空き地の場所。笠寺観音〜塩付街道〜安田付近〜覚王山〜山口街道〜茶屋が坂〜矢田川〜小幡〜龍泉寺。
<南より旧笠寺道駅跡>踏切を北に渡り、瀬戸街道を小幡駅前まで進み、そこから北の龍泉寺へ向かった。
瓢箪山(ひょうたんやま)駅の北には5〜6世紀建設の守山瓢箪山古墳址が守山小学校隣。
<南より旧笠寺道駅跡>踏切を北に渡り、瀬戸街道を小幡駅前まで進み、そこから北の龍泉寺へ向かった。
瓢箪山(ひょうたんやま)駅の北には5〜6世紀建設の守山瓢箪山古墳址が守山小学校隣。
<小幡宮前・瓢箪山の和菓子店前>歩道上に松の木。瀬戸街道との関係。
<小幡宮前・瓢箪山の和菓子店前>歩道上に松の木。瀬戸街道との関係。
<小幡宮前>白山神社。台地にあるが古墳との関係はないよう。明治43年に付近の愛宕社、神明社、諏訪社などを合祀。
<小幡宮前>白山神社。台地にあるが古墳との関係はないよう。明治43年に付近の愛宕社、神明社、諏訪社などを合祀。
<小幡宮前>生玉(いくたま)稲荷神社参道。13世紀創建。天正年間に織田氏小幡城主・織田源三郎赤千代(信長の甥)が守護神に奉祀。家康が小牧・長久手の戦いで小幡城泊。家臣が稲荷山で竹で旗竿献上。「小幡稲荷」から明治12年に現在名。慶安年間(1650)洪水で社殿流失・再建・改修。
<小幡宮前>生玉(いくたま)稲荷神社参道。13世紀創建。天正年間に織田氏小幡城主・織田源三郎赤千代(信長の甥)が守護神に奉祀。家康が小牧・長久手の戦いで小幡城泊。家臣が稲荷山で竹で旗竿献上。「小幡稲荷」から明治12年に現在名。慶安年間(1650)洪水で社殿流失・再建・改修。
名鉄小幡駅前から先程の竜泉寺道(笠寺道)が北に向かい延びる。
名鉄小幡駅前から先程の竜泉寺道(笠寺道)が北に向かい延びる。
<喜多山付近・津島神社>空き地にぽつんと小さな祠。ベンガラで赤く塗られている。祠には小さな木像。この北に小幡長塚古墳址がある。
<喜多山付近・津島神社>空き地にぽつんと小さな祠。ベンガラで赤く塗られている。祠には小さな木像。この北に小幡長塚古墳址がある。
<大森インター北>名二環状の大通を渡る。
<大森インター北>名二環状の大通を渡る。
<大森>大森・金城学院前駅南で隈除川を渡る。
<大森>大森・金城学院前駅南で隈除川を渡る。
<大森北・八劔神社前>大森交差点から北に入ると金城学院大学のランドルフ記念講堂の瀟洒な姿が見え、その横が八劔神社の長く高い階段がある。
<大森北・八劔神社前>大森交差点から北に入ると金城学院大学のランドルフ記念講堂の瀟洒な姿が見え、その横が八劔神社の長く高い階段がある。
八劔神社。793年豪族・山田の連(むらじ)が創建。熱田神宮の別宮・八劔宮に由来?天之火明命(あめのほあかりのみこと)は尾張氏の祖。中世では大森城主尾関氏が受け継ぎ継承。
八劔神社。793年豪族・山田の連(むらじ)が創建。熱田神宮の別宮・八劔宮に由来?天之火明命(あめのほあかりのみこと)は尾張氏の祖。中世では大森城主尾関氏が受け継ぎ継承。
八劔神社。階段上より。たいへん立派な作りである。
八劔神社。階段上より。たいへん立派な作りである。
<尾州・歓喜院大森寺>1637年二代尾張藩主・光友が生母・乾の方の菩提を弔うため歓喜院を江戸小石川に創建。1661年に当地に歓喜院大森(だいしん)寺として開山。
<尾州・歓喜院大森寺>1637年二代尾張藩主・光友が生母・乾の方の菩提を弔うため歓喜院を江戸小石川に創建。1661年に当地に歓喜院大森(だいしん)寺として開山。
<弁天が丘>八劔神社横隣の閑静なな歓喜院大森寺の山門と新しい本堂。
<弁天が丘>八劔神社横隣の閑静なな歓喜院大森寺の山門と新しい本堂。
瀬戸街道の和菓子屋(大泉堂)裏にある弘法堂。今は堂守をする人がいないよう。弘法様は大森寺さんに引取られた。この店の銘菓「瀬戸街道」はこしあん。
瀬戸街道の和菓子屋(大泉堂)裏にある弘法堂。今は堂守をする人がいないよう。弘法様は大森寺さんに引取られた。この店の銘菓「瀬戸街道」はこしあん。
<大森東口・霞ヶ丘バス停>白龍神社。龍神の石板がある。やがて尾張旭市に入る。
<大森東口・霞ヶ丘バス停>白龍神社。龍神の石板がある。やがて尾張旭市に入る。
<印場>東名高速道路下。ここで南に入る瀬戸街道旧道入口。この南に西部浄化センター。辺りに中世の渋川城や印場城址(坂井弥兵衛城主)があった。また、その下層では律令期の渋川遺跡。竪穴式住居など発掘。
<印場>東名高速道路下。ここで南に入る瀬戸街道旧道入口。この南に西部浄化センター。辺りに中世の渋川城や印場城址(坂井弥兵衛城主)があった。また、その下層では律令期の渋川遺跡。竪穴式住居など発掘。
<印場・良福寺>名鉄線印場駅すぐ北。東名高速道路高架沿いに北進すると良福寺。平安時代創建。戦国時代末期に土岐氏、織田氏の保護。天正10(1582)年織田信長次男、織田信雄が寺領保証。
<印場・良福寺>名鉄線印場駅すぐ北。東名高速道路高架沿いに北進すると良福寺。平安時代創建。戦国時代末期に土岐氏、織田氏の保護。天正10(1582)年織田信長次男、織田信雄が寺領保証。
良福寺山門。尾張旭市内では最古。1631年尾張藩主徳川義直の命で槐山和尚(かいざんおしょう)が中興。良福寺山門は、清州城裏門の一つを譲り受けたとの伝承。
良福寺山門。尾張旭市内では最古。1631年尾張藩主徳川義直の命で槐山和尚(かいざんおしょう)が中興。良福寺山門は、清州城裏門の一つを譲り受けたとの伝承。
良福寺境内の石仏。印場の瀬戸街道沿いにあった貴重な馬頭観音がこの寺に移されていると聞き、探すが見当たらず。寺のベルを鳴らしたが返答なし。家でネットを調べると本堂裏に石仏が並んでいたよう。残念。
良福寺境内の石仏。印場の瀬戸街道沿いにあった貴重な馬頭観音がこの寺に移されていると聞き、探すが見当たらず。寺のベルを鳴らしたが返答なし。家でネットを調べると本堂裏に石仏が並んでいたよう。残念。
戻って瀬戸街道旧道を歩く。稲葉元町3丁目から5丁目。静かな町並みが続く。やがて篠木尾張旭線214号を横断すると左に渋川神社が見えた。
戻って瀬戸街道旧道を歩く。稲葉元町3丁目から5丁目。静かな町並みが続く。やがて篠木尾張旭線214号を横断すると左に渋川神社が見えた。
<印場5・渋川神社>白鳳5年(676)天武天皇即位大嘗祭で、この地域に新穂収穫の悠紀斎田。929年「山田郡総鎮守」約450年前織田信長が本殿改修、1688年尾張藩主徳川光友が本殿改築。
<印場5・渋川神社>白鳳5年(676)天武天皇即位大嘗祭で、この地域に新穂収穫の悠紀斎田。929年「山田郡総鎮守」約450年前織田信長が本殿改修、1688年尾張藩主徳川光友が本殿改築。
渋川神社祭神・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)万物の創造を司る神。澁川神社古文書「おかげ参り」文政13年寅春三月おかげ参り人別記憶(記帳)絵巻あり。
渋川神社祭神・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)万物の創造を司る神。澁川神社古文書「おかげ参り」文政13年寅春三月おかげ参り人別記憶(記帳)絵巻あり。
渋川神社境内にある社と祀られている神々。ふ〜む。神様のデパートみたい。東隣は渋川稲荷社。
渋川神社境内にある社と祀られている神々。ふ〜む。神様のデパートみたい。東隣は渋川稲荷社。
渋川神社。縁結び・夫婦円満「連理木」渋川神社東横から一本北に上がり左折。印場東で瀬戸街道新道に戻り少し進むと「旭前」交差点に一里塚。
渋川神社。縁結び・夫婦円満「連理木」渋川神社東横から一本北に上がり左折。印場東で瀬戸街道新道に戻り少し進むと「旭前」交差点に一里塚。
<旭前交差点うどん屋前・一里塚>先程訪れた大森寺から一里の場所。(実際は3kmらしい)昭和14年建造。新しいものだ。この付近で昼食。
<旭前交差点うどん屋前・一里塚>先程訪れた大森寺から一里の場所。(実際は3kmらしい)昭和14年建造。新しいものだ。この付近で昼食。
<砂川交差点>定光寺参りに使った水野街道(定光寺道・御成道・殿様街道)と瀬戸道との追分。水野街道はここから東北斜めに城前町を進み、現在の城山公園南〜旭が丘〜森林公園〜中水野〜定光寺に至る。
<砂川交差点>定光寺参りに使った水野街道(定光寺道・御成道・殿様街道)と瀬戸道との追分。水野街道はここから東北斜めに城前町を進み、現在の城山公園南〜旭が丘〜森林公園〜中水野〜定光寺に至る。
<砂川公園南西>残念ながら水野街道は城前町内は住宅建設などで寸断されているが、新道から1つ北に入った砂川公園に貴重な「つんぼ石」と「追分石道標」が保存。
<砂川公園南西>残念ながら水野街道は城前町内は住宅建設などで寸断されているが、新道から1つ北に入った砂川公園に貴重な「つんぼ石」と「追分石道標」が保存。
<つんぼ石>ある大名が名古屋城建設用石材(定光寺辺りで採掘)を街道で落とし、そのままにしたことを村人に口止めし立ち去る。「黙っていろ」の意味らしい。街道文化財の一部に「差別用語」があるが、歴史文化財としてそのまま記述しました。
<つんぼ石>ある大名が名古屋城建設用石材(定光寺辺りで採掘)を街道で落とし、そのままにしたことを村人に口止めし立ち去る。「黙っていろ」の意味らしい。街道文化財の一部に「差別用語」があるが、歴史文化財としてそのまま記述しました。
<小さな追分石道標>「右 せと・志奈の道」「左・定光寺・かさわら道」
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<小さな追分石道標>「右 せと・志奈の道」「左・定光寺・かさわら道」
「城前交差点」から南に入り、緑のマーカーがされた瀬戸旧街道が続いていく。
「城前交差点」から南に入り、緑のマーカーがされた瀬戸旧街道が続いていく。
大道町あたりの旧道から南を見て民家。
大道町あたりの旧道から南を見て民家。
生け垣などが多い西大道町の旧道。やがて分岐となり、右がさらに旧道。ここに地蔵祠がある。
生け垣などが多い西大道町の旧道。やがて分岐となり、右がさらに旧道。ここに地蔵祠がある。
<西大道町>小さな石仏
<西大道町>小さな石仏
<西大道町>庚申塚。お盆の時期は地蔵まつりなどが行われているようだ。
<西大道町>庚申塚。お盆の時期は地蔵まつりなどが行われているようだ。
やがて尾張旭市役所や図書館に向かう中央通りを横断。この道は昔は「巡見道」だった。森林公園方面に続いている。
やがて尾張旭市役所や図書館に向かう中央通りを横断。この道は昔は「巡見道」だった。森林公園方面に続いている。
旭小学校前で北の平池から下りてくる天神川の用水橋を渡り、消防署方面へ左折した。左折せずにまっすぐ東に向かうと北山を経て後述する「南原山追分」に到達。
旭小学校前で北の平池から下りてくる天神川の用水橋を渡り、消防署方面へ左折した。左折せずにまっすぐ東に向かうと北山を経て後述する「南原山追分」に到達。
<北原山>体育館南で消防署を右折して瀬戸街道新道に戻ったが、北原山交差点の分岐で北に入り、再び旧道に。
<北原山>体育館南で消防署を右折して瀬戸街道新道に戻ったが、北原山交差点の分岐で北に入り、再び旧道に。
新道より確かに交通量は少ないのだが、狭い道をスピードを出し来る車が多く危ない。南原山追分の二つの道標・馬頭観音を見たくて、南原山交差点を南下。
新道より確かに交通量は少ないのだが、狭い道をスピードを出し来る車が多く危ない。南原山追分の二つの道標・馬頭観音を見たくて、南原山交差点を南下。
<南原山赤土・追分交差点・変形6差路>西を見る。南の矢田川沿いに「千代田街道〜旭街道」等で守山・矢田、香流川沿いの長久手・猪子石の「山口街道」等で茶屋ヶ坂と連絡。
<南原山赤土・追分交差点・変形6差路>西を見る。南の矢田川沿いに「千代田街道〜旭街道」等で守山・矢田、香流川沿いの長久手・猪子石の「山口街道」等で茶屋ヶ坂と連絡。
<南原山・追分交差点・西馬頭観音>1847年(弘化4年)「右・大ぞね根道」「左・でき町□や道」□は2説。「なごや道」か「ひさや道」
<南原山・追分交差点・西馬頭観音>1847年(弘化4年)「右・大ぞね根道」「左・でき町□や道」□は2説。「なごや道」か「ひさや道」
交差点より東を見る。真正面に東の祠。見れば見るほど随分と変形した交差点だ。
交差点より東を見る。真正面に東の祠。見れば見るほど随分と変形した交差点だ。
<南原山・追分交差点・十一面観音>「右・さなげ道」「左・せとしなの道」
<南原山・追分交差点・十一面観音>「右・さなげ道」「左・せとしなの道」
南原山集会所横の追分の石仏と道標の解説
南原山集会所横の追分の石仏と道標の解説
<南原山赤土・追分交差6差路>パノラマ写真。瀬戸街道への接続道は右。
<南原山赤土・追分交差6差路>パノラマ写真。瀬戸街道への接続道は右。
<尾張旭・三郷付近>瀬戸街道旧道へ再び戻った。
<尾張旭・三郷付近>瀬戸街道旧道へ再び戻った。
<三郷踏切付近>右手にも左手にも昭和初期の小社がある。
<三郷踏切付近>右手にも左手にも昭和初期の小社がある。
瀬戸市に近づきしだいに緩やかな上りになる。
瀬戸市に近づきしだいに緩やかな上りになる。
瀬戸市に入る。愛知用水が下を潜る(根の鼻〜川北・川西町)
瀬戸市に入る。愛知用水が下を潜る(根の鼻〜川北・川西町)
<根の鼻公園前>小さな石仏。ほとんど形がわからない。
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<根の鼻公園前>小さな石仏。ほとんど形がわからない。
<南山町1>ここで右に曲がり、名鉄線路を渡り、平町公園横を歩く。東に猿投山方面が見える。
<南山町1>ここで右に曲がり、名鉄線路を渡り、平町公園横を歩く。東に猿投山方面が見える。
<平町3・平町公園東>金峰大神社。地域の社らしく地域情報が掲示してある。南にある「八王子神社の大祭10月6日献馬奉納神事」など。
<平町3・平町公園東>金峰大神社。地域の社らしく地域情報が掲示してある。南にある「八王子神社の大祭10月6日献馬奉納神事」など。
<孫田町>愛知環状線を潜り、汗干町(あせび)へ。面白い地名が瀬戸には多い。
<孫田町>愛知環状線を潜り、汗干町(あせび)へ。面白い地名が瀬戸には多い。
「とうふ屋しろ豆腐」なんだか人で一杯。地域食材が使われている豆腐ランチが人気らしい。
「とうふ屋しろ豆腐」なんだか人で一杯。地域食材が使われている豆腐ランチが人気らしい。
<追分>追分手前の交差で北を見ると「金神社」が見える。その左横は「瀬戸市歴史民俗資料館」
<追分>追分手前の交差で北を見ると「金神社」が見える。その左横は「瀬戸市歴史民俗資料館」
<瀬戸・追分>秋葉大社関係か?
<瀬戸・追分>秋葉大社関係か?
<瀬戸・追分>左が瀬戸街道。右は北の水野や定光寺への道。
<瀬戸・追分>左が瀬戸街道。右は北の水野や定光寺への道。
<瀬戸市京町>
<瀬戸市湯之滝>瀬戸川沿い。
<瀬戸市湯之滝>瀬戸川沿い。
瀬戸=尾張徳川家領。家康意向=瀬戸窯業保護。初代尾張藩主義直=瀬戸北の水野で鹿狩及び廟所。「尾張藩水野御殿」造営。林地管理に優れる。後に御林方奉行所設置。写真は愛知県陶磁器工業協同組合ビル。
瀬戸=尾張徳川家領。家康意向=瀬戸窯業保護。初代尾張藩主義直=瀬戸北の水野で鹿狩及び廟所。「尾張藩水野御殿」造営。林地管理に優れる。後に御林方奉行所設置。写真は愛知県陶磁器工業協同組合ビル。
瀬戸川沿いにある小社と庚申塚。水野氏=平安期末より地区領主で狩場案内役。尾張藩1781年中水野村に水野代官所設置。
瀬戸川沿いにある小社と庚申塚。水野氏=平安期末より地区領主で狩場案内役。尾張藩1781年中水野村に水野代官所設置。
<山脇町〜陶本町>広い空き地と古い蔵。
1801年に磁器生産開始。瀬戸窯陶磁器は尾張藩専売制度を作り全国へ流通。街道や海路での運搬も本格化。
<山脇町〜陶本町>広い空き地と古い蔵。
1801年に磁器生産開始。瀬戸窯陶磁器は尾張藩専売制度を作り全国へ流通。街道や海路での運搬も本格化。
「パルティせと」横の名鉄尾張瀬戸駅に到着。本日はここまで。瀬戸市内の街道関係の場所と水野街道方面をいつかは訪れてみたい。
「パルティせと」横の名鉄尾張瀬戸駅に到着。本日はここまで。瀬戸市内の街道関係の場所と水野街道方面をいつかは訪れてみたい。

感想

久しぶりに街道歩き。台風一過のやや暑く、風の強い日だった。大曽根と瀬戸を結ぶ瀬戸街道。尾張藩主と鹿狩やら初代藩主廟参りやら水野代官所やらで繋がりが深く「水野街道」など様々な名称で呼称。定光寺からは多治見や土岐の下街道へも通じる。また、瀬戸・品野から信濃飯田街道や岩村経由の中山道へ物流流通街道としての役割も担い、瀬戸は陶磁器だけでなく街道の要としての意味も持つ。矢田・守山・尾張旭・瀬戸を新しい角度に再発見できた。

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