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記録ID: 2062454
全員に公開
ハイキング
東海

下街道(善光寺街道)を歩く1(名古屋・伝馬〜春日井・神領)

2019年10月15日(火) [日帰り]
 - 拍手
GPS
05:23
距離
20.3km
登り
22m
下り
0m

コースタイム

日帰り
山行
5:28
休憩
0:20
合計
5:48
7:42
21
伝馬町本町 札の辻
8:03
0:00
34
京町通り本町
8:37
0:00
40
佐野屋の辻(代官町)
9:17
0:00
49
大曽根道標
10:06
0:00
34
高牟神社
10:40
0:00
15
勝川天神
10:55
0:00
31
旧住吉屋
11:26
0:00
9
JR勝川駅
11:35
11:55
39
休憩昼食
12:34
0:00
56
春日井郷土館(鳥居松)
13:30
東名高速高架下(金ヶ口)
天候 晴天
過去天気図(気象庁) 2019年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
往 名古屋〜徒歩〜伝馬町・本町
復 春日井・JR神領駅〜JR名古屋駅
「お茶の升半」尾張名古屋の老舗。天保11年創業。中区錦2丁目。<伝馬町通・桑名町通>尾張藩奥医師・三村玄澄宅跡。華岡青洲に外科学を学び、伝馬町で診療。
「お茶の升半」尾張名古屋の老舗。天保11年創業。中区錦2丁目。<伝馬町通・桑名町通>尾張藩奥医師・三村玄澄宅跡。華岡青洲に外科学を学び、伝馬町で診療。
<伝馬町・本町>名古屋からの諸街道出発点。下街道出発点。「伝馬会所・札の辻」
<伝馬町・本町>名古屋からの諸街道出発点。下街道出発点。「伝馬会所・札の辻」
<桜天神社>織田信秀が京・北野天満宮から道真・木像を勧請。那古野城祠に奉り1537年創建。当時周辺に桜が多かった故。
<桜天神社>織田信秀が京・北野天満宮から道真・木像を勧請。那古野城祠に奉り1537年創建。当時周辺に桜が多かった故。
<料亭・河文>魚ノ柵通。通名は魚屋や料亭が多数。元禄年間(1688〜1704)に河内屋文左衛門らが料亭を開く。「河文」の名前由来。
<料亭・河文>魚ノ柵通。通名は魚屋や料亭が多数。元禄年間(1688〜1704)に河内屋文左衛門らが料亭を開く。「河文」の名前由来。
<京町通・長者町>茶屋新四郎宅跡。京都三長者(後藤・角倉・中島)の朱印船貿易商の中島家の尾張分家。「尾張茶屋」家康との関係深い。呉服商。接待や饗応。
<京町通・長者町>茶屋新四郎宅跡。京都三長者(後藤・角倉・中島)の朱印船貿易商の中島家の尾張分家。「尾張茶屋」家康との関係深い。呉服商。接待や饗応。
<外堀通・長者町通>那古野神社。津島牛頭天王社。焼失後、織田信秀が再建。秀吉、徳川義直らが寄進・修理を続けた。当時は「亀尾天王社」。信長が天王坊で学んだ、の記述有。
<外堀通・長者町通>那古野神社。津島牛頭天王社。焼失後、織田信秀が再建。秀吉、徳川義直らが寄進・修理を続けた。当時は「亀尾天王社」。信長が天王坊で学んだ、の記述有。
<東照宮社殿>尾張初代藩主・義直が、1618年に父・家康三回忌大祭を行い、城内三の丸内の亀尾天王社(那古野神社)の隣に東照宮勧請。
<東照宮社殿>尾張初代藩主・義直が、1618年に父・家康三回忌大祭を行い、城内三の丸内の亀尾天王社(那古野神社)の隣に東照宮勧請。
<京町通・本町通>明治期地図には「下タ(した)街道」と記述。中山道の大井宿を過ぎた槙ヶ根山中追分で中山道「上」を行き、そこから「下」に下ったことによる。善光寺・熱田・伊勢への参拝・参詣者も多かった。
<京町通・本町通>明治期地図には「下タ(した)街道」と記述。中山道の大井宿を過ぎた槙ヶ根山中追分で中山道「上」を行き、そこから「下」に下ったことによる。善光寺・熱田・伊勢への参拝・参詣者も多かった。
<道標>「東 ぜんこうじみち」「北 おしろ」
「下街道」に対し、中山道伏見や鵜沼から南下し名古屋に至る街道は「上街道(木曽街道)」。上街道は公街道だが、下街道は脇道往還の非公街道で旅人や物資は通過し易かった。
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<道標>「東 ぜんこうじみち」「北 おしろ」
「下街道」に対し、中山道伏見や鵜沼から南下し名古屋に至る街道は「上街道(木曽街道)」。上街道は公街道だが、下街道は脇道往還の非公街道で旅人や物資は通過し易かった。
<呉服町通・京町>細長い「少彦名神社」。大正期創建の新しい「薬」関係神社。呉服商が多かった京町界隈が安政期大火で焼失後、薬問屋が集まったのが由縁。茶屋町には先程の尾州茶屋家や伊藤次郎左衛門(松坂屋)の豪商が並んだ。
<呉服町通・京町>細長い「少彦名神社」。大正期創建の新しい「薬」関係神社。呉服商が多かった京町界隈が安政期大火で焼失後、薬問屋が集まったのが由縁。茶屋町には先程の尾州茶屋家や伊藤次郎左衛門(松坂屋)の豪商が並んだ。
<京町通・大津通>「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」。風格のあるビル・愛知県庁大津橋分室。昭和8年竣工。黒川紀章氏父・巳喜氏が携わった。
<京町通・大津通>「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」。風格のあるビル・愛知県庁大津橋分室。昭和8年竣工。黒川紀章氏父・巳喜氏が携わった。
<泉1>久屋大通の一本東の四つ角が「上街道分岐点」。ここから北の名古屋城東大手門・清水橋へ上がる。
<泉1>久屋大通の一本東の四つ角が「上街道分岐点」。ここから北の名古屋城東大手門・清水橋へ上がる。
<東片端東>ケーキの「ボンボン」昭和24年創業の洋菓子屋さん。隣は懐かしい昭和のレトロ満載の喫茶店もある。名古屋式の濃い珈琲。
<東片端東>ケーキの「ボンボン」昭和24年創業の洋菓子屋さん。隣は懐かしい昭和のレトロ満載の喫茶店もある。名古屋式の濃い珈琲。
<鍋屋町(泉2・3)>同じ道だが、通名は京町から鍋屋通となる。「加藤忠三郎」名古屋城下の鋳物師の職人町。四百年間ここに住み、江戸中期から尾張藩お抱え釜師になった名門家。ギャラリーも。
<鍋屋町(泉2・3)>同じ道だが、通名は京町から鍋屋通となる。「加藤忠三郎」名古屋城下の鋳物師の職人町。四百年間ここに住み、江戸中期から尾張藩お抱え釜師になった名門家。ギャラリーも。
<泉2ー5>「大光寺」「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」とまで言われた井上士朗。俳人であり医師(産婦人科)で大光寺の隣に住居。
<泉2ー5>「大光寺」「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」とまで言われた井上士朗。俳人であり医師(産婦人科)で大光寺の隣に住居。
<泉3−2>「松山神社」修験道が起源?三代藩主・徳川綱誠が祈願所とする。昔は松が生い茂る山間地だった故の命名?今は狭い場所だが立派な神社。長寿・大銀杏あり。
<泉3−2>「松山神社」修験道が起源?三代藩主・徳川綱誠が祈願所とする。昔は松が生い茂る山間地だった故の命名?今は狭い場所だが立派な神社。長寿・大銀杏あり。
<泉3−2>圓明寺。戦争中の国家政策。金属類供出で大切な銅製の鐘を失い、代わりに戦後、戦争記憶を残すために「石鐘」を吊す。
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<泉3−2>圓明寺。戦争中の国家政策。金属類供出で大切な銅製の鐘を失い、代わりに戦後、戦争記憶を残すために「石鐘」を吊す。
<代官町交叉点>「佐野屋の辻」善光寺道の記述あり。
<代官町交叉点>「佐野屋の辻」善光寺道の記述あり。
<相生町>19号より一本西の細い路地が下街道。水野商店南の駐車場に立つ石柱。
<相生町>19号より一本西の細い路地が下街道。水野商店南の駐車場に立つ石柱。
<相生町・平田町北>「桝形」道。東に曲り、すぐに北に上がる。菊武ビジネス専門の校舎近く
<相生町・平田町北>「桝形」道。東に曲り、すぐに北に上がる。菊武ビジネス専門の校舎近く
<赤塚7>「熊野屋」先祖は美濃より移住。享保年間)には油商。菜種油需要増加し名古屋城にも油を納める。店奥資料室で古資料展示(油屋鑑札・申合・勘定帳・古地図・行灯・燭台等)
<赤塚7>「熊野屋」先祖は美濃より移住。享保年間)には油商。菜種油需要増加し名古屋城にも油を納める。店奥資料室で古資料展示(油屋鑑札・申合・勘定帳・古地図・行灯・燭台等)
<赤塚交叉点を見る>向かいが赤塚・神明社。「赤塚大木戸」は先程の細い道を北へ交叉点を越えて渡り、神明社へ右折する辺りにあった?
<赤塚交叉点を見る>向かいが赤塚・神明社。「赤塚大木戸」は先程の細い道を北へ交叉点を越えて渡り、神明社へ右折する辺りにあった?
<徳川2・赤塚>神明社。山口神明社とも。17世紀初頭、赤塚山口村が近郷総氏神とし祀る。
<徳川2・赤塚>神明社。山口神明社とも。17世紀初頭、赤塚山口村が近郷総氏神とし祀る。
<徳川2>「了義院」芭蕉50回忌の五条坊木児建立の三日月塚石碑。「有るとありるたとへにも似ず三日の月」西に本覚寺があり、この付近に「大木戸や高札場」があったとする説も?
<徳川2>「了義院」芭蕉50回忌の五条坊木児建立の三日月塚石碑。「有るとありるたとへにも似ず三日の月」西に本覚寺があり、この付近に「大木戸や高札場」があったとする説も?
<徳川2>片山八幡神社。熱田台地北縁で大曽根面台地上。片山神社と片山八幡神社の関係?大曽根の地名の源?坂を下りて名鉄・森下駅横を通り大曽根へ。昔の下街道は先程の了義院西から斜めに森下駅付近を下りていた?
<徳川2>片山八幡神社。熱田台地北縁で大曽根面台地上。片山神社と片山八幡神社の関係?大曽根の地名の源?坂を下りて名鉄・森下駅横を通り大曽根へ。昔の下街道は先程の了義院西から斜めに森下駅付近を下りていた?
<大曽根2-3>大垣共立銀行前。OZ MALL商店街入口。懐かしくて新しい雰囲気の商店街として1989年に開業。が、駅前広場で人の流れが分断し、現在は寂しい状態。下街道もここを通過し大曽根の賑わい地だったが。
<大曽根2-3>大垣共立銀行前。OZ MALL商店街入口。懐かしくて新しい雰囲気の商店街として1989年に開業。が、駅前広場で人の流れが分断し、現在は寂しい状態。下街道もここを通過し大曽根の賑わい地だったが。
<大曽根・地下鉄出口E6・道標>付近よりここに移設「右 いいだみち」「左 江戸道 ぜんこうじみち」の記述。一本南には「五ツ角堂南無大師遍照金剛」
<大曽根・地下鉄出口E6・道標>付近よりここに移設「右 いいだみち」「左 江戸道 ぜんこうじみち」の記述。一本南には「五ツ角堂南無大師遍照金剛」
<大曽根・道標>説明板。なるほど、非公式な下街道は庶民の道。下街道に名古屋や伊勢への旅人や荷物を奪われる中山道の3宿場(大湫・細久手・大嵩)は度々幕府や代官に直訴状を出し抗議した。
<大曽根・道標>説明板。なるほど、非公式な下街道は庶民の道。下街道に名古屋や伊勢への旅人や荷物を奪われる中山道の3宿場(大湫・細久手・大嵩)は度々幕府や代官に直訴状を出し抗議した。
交叉点を北に渡ると交番がありここが、下街道と瀬戸街道(水野街道)の分岐。
交叉点を北に渡ると交番がありここが、下街道と瀬戸街道(水野街道)の分岐。
<山田3>常光院境内の地蔵。付近の山田幼稚園(広福善寺)には鎌倉期のこの辺りの豪族・山田重忠石碑。だが、現在では幼稚園には入って行けない。
<山田3>常光院境内の地蔵。付近の山田幼稚園(広福善寺)には鎌倉期のこの辺りの豪族・山田重忠石碑。だが、現在では幼稚園には入って行けない。
<山田3>山田天満宮。2代藩主・光友が学問祈願諸並びに名古屋城鬼門守護神として菅原道真を祀る。「金神社」もあり銭洗いやら金ぴかマスコットが並ぶ。
<山田3>山田天満宮。2代藩主・光友が学問祈願諸並びに名古屋城鬼門守護神として菅原道真を祀る。「金神社」もあり銭洗いやら金ぴかマスコットが並ぶ。
矢田川に架かる「天神橋」に向かう19号。
矢田川に架かる「天神橋」に向かう19号。
<山田3>金虎酒造の広い敷地。1845年善光寺街道入口山田村で、初代大阪屋善兵衛が酒造業「大善」創業。屋号「金虎」は名古屋城名物の金鯱と3代目善兵衛が寅年のため命名。
<山田3>金虎酒造の広い敷地。1845年善光寺街道入口山田村で、初代大阪屋善兵衛が酒造業「大善」創業。屋号「金虎」は名古屋城名物の金鯱と3代目善兵衛が寅年のため命名。
<天神橋>矢田川を北へ渡り終えてから振り向き、山田方面を見る。さらに東を見ると「瀬戸街道」時に訪れた山田氏建立の「長母寺」が見える。
<天神橋>矢田川を北へ渡り終えてから振り向き、山田方面を見る。さらに東を見ると「瀬戸街道」時に訪れた山田氏建立の「長母寺」が見える。
<天神橋北・高室神社前付近より>山田北町。橋は今より下流(やや西)に「山田の渡し」はあったようだ。写真の中央部あたりか?
<天神橋北・高室神社前付近より>山田北町。橋は今より下流(やや西)に「山田の渡し」はあったようだ。写真の中央部あたりか?
<守山区瀬古東1>矢田川堤防より下街道は北西に下りて瀬古の町に入る。三角州の低地で洪水多発地帯。小堤=「除」を集落の周囲に築いた。
<守山区瀬古東1>矢田川堤防より下街道は北西に下りて瀬古の町に入る。三角州の低地で洪水多発地帯。小堤=「除」を集落の周囲に築いた。
<瀬古東>西折れて、石山寺と高牟神社へまず向かった。1243年に道円開山。1676年藩主・光友再建。濃尾地震で倒壊、空襲で観音堂・山門以外は灰塵に。
<瀬古東>西折れて、石山寺と高牟神社へまず向かった。1243年に道円開山。1676年藩主・光友再建。濃尾地震で倒壊、空襲で観音堂・山門以外は灰塵に。
<石山寺>山門西に馬頭観音があるらしいがよくわからなかった。善光寺街道にあったのを明治に移したらしい。本尊の観音像は近江石山寺の観音像と同木?より寺名命名。
<石山寺>山門西に馬頭観音があるらしいがよくわからなかった。善光寺街道にあったのを明治に移したらしい。本尊の観音像は近江石山寺の観音像と同木?より寺名命名。
<高牟神社>1300年前創設。高見天神の名。「天神橋」の由来。天神様が年に2回橋を渡った。神社の宝刀は国宝で東京美術館に。
<高牟神社>1300年前創設。高見天神の名。「天神橋」の由来。天神様が年に2回橋を渡った。神社の宝刀は国宝で東京美術館に。
<瀬古東2>民家に挟まれた秋葉堂・八尾稲荷。近くに小社・津島神社もある。瀬古は宿場として旅籠なども多数あった。
<瀬古東2>民家に挟まれた秋葉堂・八尾稲荷。近くに小社・津島神社もある。瀬古は宿場として旅籠なども多数あった。
<瀬古東3>東龍蔵元の見事な水屋造の蔵等。庄内川と矢田川に挟まれた三角州で洪水が多かった。江戸時代末期に佐藤東兵衛が「龍田屋」屋号で創業。後に名前の「東」と「龍」で「東龍」に改名。
<瀬古東3>東龍蔵元の見事な水屋造の蔵等。庄内川と矢田川に挟まれた三角州で洪水が多かった。江戸時代末期に佐藤東兵衛が「龍田屋」屋号で創業。後に名前の「東」と「龍」で「東龍」に改名。
<瀬古元杁>庄内川南となり「水分橋」南西袂には黒龍大神。写真は南東袂。ここにお好み焼き屋さんがあるが、この辺りが勝川渡しの跡。
<瀬古元杁>庄内川南となり「水分橋」南西袂には黒龍大神。写真は南東袂。ここにお好み焼き屋さんがあるが、この辺りが勝川渡しの跡。
<瀬古元杁堤防上より>「水分橋」と「庄内川」を見る。江戸期は季節により水量が異なり「春〜秋」は舟、「秋末〜春」は浅瀬歩きや仮橋を使い、渡川。
<瀬古元杁堤防上より>「水分橋」と「庄内川」を見る。江戸期は季節により水量が異なり「春〜秋」は舟、「秋末〜春」は浅瀬歩きや仮橋を使い、渡川。
<水分橋北堤防より>渡り終えて名古屋方面を見る。渡しは橋の左手、写真中央辺りか?
<水分橋北堤防より>渡り終えて名古屋方面を見る。渡しは橋の左手、写真中央辺りか?
<勝川1>「勝川天神社」東の修験道石碑群。大峰などの修験の山行者の碑が多い。
<勝川1>「勝川天神社」東の修験道石碑群。大峰などの修験の山行者の碑が多い。
<勝川1>先日行われた「勝川天神社・馬の塔」装束など洗濯して干してある。尾張や西三河の代表的祭礼習俗。標具札や御幣を立てた馬具で飾った馬を社寺へ奉献。「オマント(ウ)」。馬頭人言葉。降雨祈願や遷宮祭等
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<勝川1>先日行われた「勝川天神社・馬の塔」装束など洗濯して干してある。尾張や西三河の代表的祭礼習俗。標具札や御幣を立てた馬具で飾った馬を社寺へ奉献。「オマント(ウ)」。馬頭人言葉。降雨祈願や遷宮祭等
<勝川1>「勝川天神社」と馬林。これらを扇形に刺して装飾にする。天神社南は昔は地蔵池があったが、今は野球場のようだ。
<勝川1>「勝川天神社」と馬林。これらを扇形に刺して装飾にする。天神社南は昔は地蔵池があったが、今は野球場のようだ。
橋上より地蔵川を見る。
橋上より地蔵川を見る。
<太清寺内にある馬頭観音>
<太清寺内にある馬頭観音>
<勝川2>十王堂と太清寺。昔は龍源寺。小牧・長久手の戦時に家康が寺の阿弥陀堂(十王堂前身)で休憩。庄屋に大川(庄内川)の深さや地名を尋ね「徒歩(徒かち)にて渡れる徒渉川、かち川にございます」とこたえ家康は「勝つ川とは縁起がよい」と大喜び。
<勝川2>十王堂と太清寺。昔は龍源寺。小牧・長久手の戦時に家康が寺の阿弥陀堂(十王堂前身)で休憩。庄屋に大川(庄内川)の深さや地名を尋ね「徒歩(徒かち)にて渡れる徒渉川、かち川にございます」とこたえ家康は「勝つ川とは縁起がよい」と大喜び。
<勝川3>「住吉屋」長谷川邸。立場茶屋としてこの付近には十数軒の旅籠や車屋・芝居小屋があった。この家の北を左に曲がると上街道方面へ、右曲りが下街道。
<勝川3>「住吉屋」長谷川邸。立場茶屋としてこの付近には十数軒の旅籠や車屋・芝居小屋があった。この家の北を左に曲がると上街道方面へ、右曲りが下街道。
<勝川4>愛宕社・愛宕神社古墳跡。社殿は古墳を改変して建造。勝川古墳群の中で唯一現存する6〜7世紀円墳。
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<勝川4>愛宕社・愛宕神社古墳跡。社殿は古墳を改変して建造。勝川古墳群の中で唯一現存する6〜7世紀円墳。
<勝川4>ここから東へ右折れしてJR勝川駅方面へ。第二環状線下を通過して左に公園。「勝川廃寺」跡。勝川廃寺の東約100mには弥生時代の勝川遺跡。
<勝川4>ここから東へ右折れしてJR勝川駅方面へ。第二環状線下を通過して左に公園。「勝川廃寺」跡。勝川廃寺の東約100mには弥生時代の勝川遺跡。
<勝川5・大和通1>交叉点で左折れ。2つ目の角を右。瑞雲保育園があり、その奥が地蔵寺。秋葉堂などがある。
<勝川5・大和通1>交叉点で左折れ。2つ目の角を右。瑞雲保育園があり、その奥が地蔵寺。秋葉堂などがある。
<JR勝川駅付近>西には「弘法通り」と書いた商店街がまっすぐに延びている。
<JR勝川駅付近>西には「弘法通り」と書いた商店街がまっすぐに延びている。
<柏井1>にある古い民家。西には「柏井八幡社」の森が見える。八幡社の前の歩道橋のある道を斜めに東に入るのが下街道。
<柏井1>にある古い民家。西には「柏井八幡社」の森が見える。八幡社の前の歩道橋のある道を斜めに東に入るのが下街道。
<篠木5>「庚申寺」古い石仏や馬頭観音が並ぶが門が閉まっていて入って行けない。庚申寺の東で道は桝形に折れ曲がる。右手には「桂林寺」がある。
<篠木5>「庚申寺」古い石仏や馬頭観音が並ぶが門が閉まっていて入って行けない。庚申寺の東で道は桝形に折れ曲がる。右手には「桂林寺」がある。
<鳥居松1>さらに道は真っ直ぐに続いていく。所々に秋葉神社関係の小社あり。やがて左手に独特の建築様式の「慈眼寺」山門が左手に。
<鳥居松1>さらに道は真っ直ぐに続いていく。所々に秋葉神社関係の小社あり。やがて左手に独特の建築様式の「慈眼寺」山門が左手に。
<鳥居松>白鳥町公民館前の石仏。よく保存されている。
<鳥居松>白鳥町公民館前の石仏。よく保存されている。
<鳥居松>長屋門や長塀など立派で趣きのある建物が点在。ここが下街道で繁栄した町であることを気づかせる。
<鳥居松>長屋門や長塀など立派で趣きのある建物が点在。ここが下街道で繁栄した町であることを気づかせる。
<鳥居松3>「油茂商店」江戸時代から菜種油屋。明治からは味噌たまり醸造。切妻瓦葺2階建。白漆喰壁塗造。
<鳥居松3>「油茂商店」江戸時代から菜種油屋。明治からは味噌たまり醸造。切妻瓦葺2階建。白漆喰壁塗造。
<鳥居松3>「油茂商店」の前の民家と蔵。
<鳥居松3>「油茂商店」の前の民家と蔵。
「金物・柄元商店」右手に東西に延びる道は昔の巡見道。
「金物・柄元商店」右手に東西に延びる道は昔の巡見道。
<八事2>「八事神明社」巡見道に沿って少し東南に下りてみると神明社。
<八事2>「八事神明社」巡見道に沿って少し東南に下りてみると神明社。
<八事2>神明社の北隣にコーヒー店と今時珍しい往時の映画館ユニオン劇場があり成人映画を上映中。驚いた。
<八事2>神明社の北隣にコーヒー店と今時珍しい往時の映画館ユニオン劇場があり成人映画を上映中。驚いた。
<鳥居松南交差点>「お天王さま・常夜灯」天王社・熱田社・秋葉社が並び祀られている。2基の常夜灯あり。
<鳥居松南交差点>「お天王さま・常夜灯」天王社・熱田社・秋葉社が並び祀られている。2基の常夜灯あり。
<四九一通・鳥居松6>「蔦屋」を見る。江戸時代よりの酢醸造及び製油を商う。大正時代は酒・穀物・肥料も販売。建物は土蔵改修の切妻瓦葺2階塗壁造。2階窓は「虫籠窓(むしこ)」
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<四九一通・鳥居松6>「蔦屋」を見る。江戸時代よりの酢醸造及び製油を商う。大正時代は酒・穀物・肥料も販売。建物は土蔵改修の切妻瓦葺2階塗壁造。2階窓は「虫籠窓(むしこ)」
<鳥居松6>左が春日井市立郷土館。酒造業「飯田家」離れ。江戸時代末期建設。毎月第三土曜午前中のみ公開。郷土館前には明治天皇下原新田御小休所の碑。
<鳥居松6>左が春日井市立郷土館。酒造業「飯田家」離れ。江戸時代末期建設。毎月第三土曜午前中のみ公開。郷土館前には明治天皇下原新田御小休所の碑。
郷土館前。「下街道」説明石碑。
郷土館前。「下街道」説明石碑。
<鳥居松7>観音堂。この周辺には旅籠や芝居小屋・呉服商などがあったよう。
<鳥居松7>観音堂。この周辺には旅籠や芝居小屋・呉服商などがあったよう。
<観音堂内>馬車組合が建立した馬頭観音や両脇8体の石仏。
<観音堂内>馬車組合が建立した馬頭観音や両脇8体の石仏。
<観音堂内>33体の仏のレリーフ石碑。
<観音堂内>33体の仏のレリーフ石碑。
<下街道の双六>
<下街道の双六>
<篠木1・中央通北交叉点>下街道は左の細い道。
<篠木1・中央通北交叉点>下街道は左の細い道。
<篠木1>右にある弘法堂の馬頭観音。
<篠木1>右にある弘法堂の馬頭観音。
<篠木3>ここで再び内津勝川線と出合い、しばらく車両の多い道を進む。
<篠木3>ここで再び内津勝川線と出合い、しばらく車両の多い道を進む。
<篠木6>東部中学校前で小社に出合い、左の細い道に入る。ここから次第に上り坂となる。
<篠木6>東部中学校前で小社に出合い、左の細い道に入る。ここから次第に上り坂となる。
<篠木7>左に「秋葉三尺坊大権現」大石があり、大杉龍神堂もある。神社はどこかの会社の私有物か?犬山城主・成瀬氏家臣木村家に伝わる三尺坊大権現。
<篠木7>左に「秋葉三尺坊大権現」大石があり、大杉龍神堂もある。神社はどこかの会社の私有物か?犬山城主・成瀬氏家臣木村家に伝わる三尺坊大権現。
「シキザクラ(四季桜」なんだろうか。満開である。4月上旬と10月下旬に開花。「柿」やら「銀杏」やら秋の風物も多かった。
「シキザクラ(四季桜」なんだろうか。満開である。4月上旬と10月下旬に開花。「柿」やら「銀杏」やら秋の風物も多かった。
どこかに「コーナン春日井篠木店の建物前に馬頭観音が・・」と書かれていたような気がして、コーナンと隣のフィール春日井店を廻ってみたが、どこにもなかった。ふ〜む。
どこかに「コーナン春日井篠木店の建物前に馬頭観音が・・」と書かれていたような気がして、コーナンと隣のフィール春日井店を廻ってみたが、どこにもなかった。ふ〜む。
<金ヶ口>やがて東名高速道路高架橋下を潜り、下街道は中部大学や坂下宿へ進んでいく。高架橋下に「大泉寺簡易水道水源井跡」の石柱。
<金ヶ口>やがて東名高速道路高架橋下を潜り、下街道は中部大学や坂下宿へ進んでいく。高架橋下に「大泉寺簡易水道水源井跡」の石柱。
次回は高架下から。高架に従い東に向かって坂を下りると約15分でJR神領駅に到着。次回歩く内津峠の東にある弥勒山〜大谷山〜檜峠方面が美しく見えた。本日ここまで。
次回は高架下から。高架に従い東に向かって坂を下りると約15分でJR神領駅に到着。次回歩く内津峠の東にある弥勒山〜大谷山〜檜峠方面が美しく見えた。本日ここまで。

感想

名古屋から下街道(善光寺街道)で恵那まで。今回は1回目。名古屋伝馬町から春日井JR神領駅。ニュースを見ていると台風の被害は終わりがないようで被災者の方々にはお見舞い申し上げます。朝夕は本格的な秋らしい季節。しかし、歩いている日中は汗こそでないが暑さを感じる。馬頭観音も多く、馬が流通の要の街道であったことを再認識。勝川からは狭い一直線の道が多く、そこを車両は速い速度で走り去る。日本も東京オリンピックを機に歩行者にゆったりとやさしい運転の国にしてもらいたい。

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