ヤマトタケル最期の道 養老・多度編 嵐の予感!
- GPS
- 12:17
- 距離
- 46.3km
- 登り
- 355m
- 下り
- 364m
コースタイム
杖衝坂 12:40 −7-11避難 14:50(1時間)−多度山入口 16:20 −尾津前 17:10 −養老線下野代駅 17:40
天候 | 晴れ 後 豪雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に無し |
写真
感想
前回分 ヤマトタケル最期の道 伊吹山・不破編
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-212835.html
おさらい
東国征伐を成し遂げヤマトへの帰り道、尾張の地でミヤズヒメと結婚したタケルは、
伊吹山に荒ぶる神がいる話を聞き、「素手で討ち取ってやろう」と、神剣・草薙の剣を
妻の元に置いて伊吹山に向かう。
山中で牛ほどある白い大猪と出会うが「神の使いの者であろう。後で殺してやる」と
言い放つが白猪は使いでは無く、神そのものだった。タケルの暴言に怒った神は、
雹や氷雨を降らせた。タケルは気を失い、朦朧として下山した。
玉倉部之清泉にたどり着き、清水で意識を回復させた。ここを居寤の清泉と名付けた。
当芸野の地に着いた時、「私の足は当芸当芸しく(たぎたぎしく)なってしまった」と言った。
ここを当芸(たぎ)と名付けた。
さら少し進んだ所で、疲れたので杖を突いて歩いた。ここを杖衝坂と名付けた。
その後、尾津前の一本松にたどり着いた。以前、忘れた剣がそのまま残っていた。
感動したタケルは歌を詠んだ。
そこより進み、三重村に着いた。「私の足は三重に曲がったように疲れた」と言った。
ここを三重と名付けた。
能煩野にたどり着き、そこで四つの歌を詠み、その後、亡くなった。
遺体は白鳥になって、故郷・ヤマトに飛んでいった。
今回は、養老から多度まで。人生最長距離の歩きになりそう。歩けるか不安。
結果として歩けたが、実は養老山地縦走の試験も少し兼ねていた。
いきなりは危険なので、平地で自分がどれくらい歩けるかを、まず知りたかったのだが、
今回の感想として、養老山〜多度山の縦走は自分には無理っぽいのが分かった。
半分づつに分けて別日で縦走くらいが自分には程よいくらいかな。
天候の急変も山の中じゃ無くて良かったです。この季節はホント怖いですね。
次回も未定ながら最期のパート 四日市・能煩野を歩きたいと思います。
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