【過去の記録】 納沙布岬にて今は行けない北方領土に思いを馳せる
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- 距離
- 2.1km
- 登り
- 8m
- 下り
- 8m
天候 | 濃霧 |
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過去天気図(気象庁) | 2013年07月の天気図 |
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感想
投稿日は2020年5月14日
北方領土は歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の4島を指すことが多い。明治以後、北海道の開拓に準じて樺太、千島列島にも和人が入っていった。また、ロシア人もこの時期にカムチャッカ、樺太、千島、アラスカなどにも入っていった。
その後、戦前に「日露和親条約」「千島樺太交換条約」で、千島列島全体が日本の領土となり、樺太にも進出し、開拓を進めていたのである。
1945年4月、ソビエト連邦は日ソ中立条約を破棄した。そして、その後8月9日になって日本と接しているところ数か所(南樺太、千島列島、北朝鮮など)にソビエトが攻めてきた。
日本の兵士も健闘したが、ほとんどはポツダム宣言を受諾し終戦となった8月15日以降にも戦闘が続き、最後に戦闘が行われたのは9月になってからであった。ヤルタ会談の協定、スターリンとトルーマンとの密約があったとかなかったとか・・・。そして、サンフランシスコ平和条約にて新しい日本領土について「本州、北海道、四国、九州とそれに付随する島々」と規定されるが、その付随する島々が具体的に書かれていないこと、そしてソビエト連邦はサンフランシスコ平和条約に参加していない(調印していない)。
ということで、千島列島すべて、そして樺太がソビエト連邦が実効支配している。北海道も半分程度ソビエトが侵攻する計画もあったそうだが、占守島の戦いが膠着状態を迎える中でソビエトはそれを無理と判断したようだ。
それ以後、領土問題として「南千島四島」を北方領土として日本の帰属にしようとする日本、実効支配しているソビエト(のちにロシア)、現在2国の間に平和条約は締結されておらず、ロシア側ははやく平和条約を締結した後に領土の話をしようと主張するが、日本は「領土問題の解決抜きにして平和条約締結はない」という立場で、これは矛盾する。
そんな中、日本では「北方領土返還!!」というスローガンによる運動が行われてきたのだ。これは、北海道に住んでいると「北方領土の日」とか、ラジオやテレビの番組、ニュースなどでビザなし訪問団が取り上げられたり漁船がロシアに拿捕されたりするというニュースがよく流れていた。(現在住んでいる神奈川県では、そういうニュースはよほどアンテナを張っていないと届かない)
根室の納沙布岬からはすぐ目の前に歯舞諸島の貝殻縞がすぐ見える、そしてロシアの巡視艇がゆうゆうと監視している様子がよく見える。また、知床の羅臼町からは国後島が大きく横たわっているのがよくわかる。北海道に住んでいる人、北海道を旅する人にとっては北方領土を見る機会は結構多いのだ。
そして、千島列島の歴史や文化、自然については書きたくても書くことができないぐらい個性があるのだ。そんなことに思いを馳せながらただただ納沙布岬にたたずんでいた。
北方領土は、私が生きている間に日本に戻ってくるだろうか、戻ってくるのであれば行ってみたいところだ。私自身はそこで起業したり商売するところではなく、純粋に観光として行ってみたい。
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