早朝/秋葉城攻城

- GPS
- 00:54
- 距離
- 2.8km
- 登り
- 16m
- 下り
- 17m
過去天気図(気象庁) | 2020年08月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
津市河芸町南黒田の秋葉城を攻めに行く。ケガで走れないので自転車で向かう。
事前に調べた情報によると城は蓮徳寺の裏から竹やぶに分け入るとあった。
『三重の中世城館』(三重県教育委員会1976)によると
「秋葉城 (略)細長いが比較的広い頂部の北端部に約20m四方の台状地があり、その一角には稲荷祠がある。この南には浅い堀切状のものがあり、東側には平坦地がある。さらに南にも堀切状のものがあり、畑でかなり改変されたと思われるが、いくつかの平坦地がある。(略)」
とある。
ネットでは蓮徳寺の南隣の建物の角に木造の城跡碑が立っている写真があったが、既に朽ちて倒れてしまったようでいくら探してもなく寺に移動し本堂左手から竹やぶに分け入る。
一見したところとても分ける事は出来なさそうに見えたが、実際に分け入ってみると藪の竹は細めのものだったので割合スムーズに体を入れることができ、どんどん中に分け入る。足元もそれほどは荒れていなかったので倒れた竹をまたぎまたぎ進み切岸っぽい垂直に近い数メートルの斜面を竹をつかみながら登った。明らかに人の手による削平地のようで、さらに上にもう一段平坦地があり、合計三段くらいの南北に長細い平坦地の郭跡が確認できた。
土塁や堀切は確認できなかったが、郭の遺構が確認できてよかった。
どなたかの情報によると竹やぶの奥には稲葉城と書かれたプレートが木に括り付けられているようだったので、くまなく最上段の郭を歩いてみたが、確認することはできなかった。
今回寺の裏の東側から登ったが、西側のほうは竹やぶではなく、柿やみかんなどの平坦な果樹園が段階重なっていて下の農道までスムーズに降りていけた。したがってこの城を攻めるには東側の竹やぶからではなく、ぐるりと西側に回って果樹園から最上段の竹やぶの茂る郭に上った方が良いと思う。
またネットで見たところ城跡のふもとの民家の裏手あたりに小さな案内板が立っておりそこには
秋葉城跡入り口
築城は戦国時代末期で天正12年(1584)蒲生氏郷に滅ぼされる
河芸「江」の会
津観光ガイドネット
と書かれた案内板が立っているが、ぐるりと城の周囲を一回りしても案内板を見つけ出す事はできなかった。上記『三重の中世城館』によると、
「天正12年(1584)蒲生氏郷は秀吉の命により、峯、国府、神戸、沢の諸城を攻略し、この城も侍屋敷を焼き払われ、残ったのは女子と子供だけであったという。今、この地方には親が「ガモウ、ガモウ、ガモウガ来ルゾ」というと、子供も泣き止むという。当時の恐ろしかった様が、代々語り伝えられてきたものであろう。」とある。
余談ながら筆者は奈良に近接する伊勢の奥地で生まれ育ったが、子供のころ癇癪を起すと母親から「紀州の殿様みたいに気が短い。」みたいなことをよく言われた記憶がある。
ちなみに城の西側には北からでも南からでも道が通じていて回ることができる。
また台地の北西部に稲荷祠があるようで写真もあった。説明では登りやすい南側から城に上り、途切れた部分から右に行くと祠があると案内されていたが、確認することができなかった。
今回それほど蚊にも蜘蛛の巣にも煩わされず、1時間近くかけて見学した。
城巡りを始めたころは道なき道や竹藪に分け入ったり、蜘蛛の巣に顔から引っかかることに抵抗感があったが、だんだん気にならなくなってきた。
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