鎮海山城 広島県竹原市
- GPS
- 00:45
- 距離
- 1.6km
- 登り
- 109m
- 下り
- 114m
コースタイム
- 山行
- 0:46
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:46
12月21日午前7時半に松山インターから高速に乗り、
今治小松自動車道に入り、しまなみ街道を渡って尾道市に入る。
30キロ60分余りで竹原市に入った。
今回のツアーは「鎮海山に登りたい」が目標だったので、
翌日には柳井市に出てフェリーで愛媛に戻る。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
道の駅 たけわらなども近くにある。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
竹原市ハイキングコースになっている。 |
写真
感想
広島県竹原市 鎮海山城
12月21日午前7時半に松山インターから高速に乗り、
今治小松自動車道に入り、しまなみ街道を渡って尾道市に入る。
30キロ60分余りで竹原市に入った。
尾道市→国道185号→竹原市→竹原小学校→田ノ浦地区→神社境内に駐車をした。→鎮海山城登山口→
目標物としては
竹原小学校や道の駅 たけわらにナビを設定すれば簡単に来ることができる。
鎮海山は竹原市のハイキングコースとなっている、
南側登山口から行きます。
大きな竹林の中を行く。
15分ほどで頂上に着く。標高が90mだから散歩のようなものだ。
頂には竹を四角に組んだ上に三角に組み立てた物が、鎮海山砦の象徴としているようだ。
頂からは竹原市街が一望できた。
鎮海山城は能島村上氏の遺跡となっている。
天正13年(1585)秀吉に能島を追われて、小早川隆景嶺のこの竹原に移り鎮海山城を築いた。
天正15年(1587)筑前名島に移動。
その後、豊前簑島、長洲大津郡と移動して
慶長2年(1597)に鎮海山に戻って来た。
三島村上水軍の総大将の村上武吉と息子の元吉
慶長5年(1600)水軍を率いて東軍の加藤嘉明の松前城を攻めたが
元吉は伊予三津浜(現 愛媛県松山市三津地区)の戦いで戦死した。
鎮海山の頂上からの下山は北方向の遊歩道を降りてゆきます。
伊予三津浜(愛媛県松山市)の戦いで戦死した。
元吉と武将たちの墓が見えてきた。
お墓からの景色も良い。
村上元吉の子孫の方は元吉が戦死した三津浜に住んでおられるようだ。
追悼の新し石碑に明記されていた。
機会があればお目にかかって三津浜に来られた経緯などをお尋ねしたい。
来るときに見た赤い鳥居の赤い鳥居のある神社まで戻ってきた。
更に車を止めたもう一つの神社まで住宅街を通って戻っって行く。
ちょうどお昼時なので、道の駅たけはらでお昼を食べた。
安芸の小京都と言われる竹原の街並みを車で行く。
NHKの朝ドラで有名になった、ニッカウヰスキーの創始者竹鶴政孝とリタ像などを見た。
平日ということなのか。街並みにはほとんど人がいなかった。
竹鶴酒造のお酒などお土産をいろいろと買った。
これから1時間あまり高速で山口県岩国市は錦帯橋のそばのホテルに向かう。
今回のツアーは「鎮海山に登りたい」が目標だったので、
翌日には柳井市に出てフェリーで愛媛に戻る。
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