街道歩き 赤坂宿から岡崎宿


- GPS
- 56:00
- 距離
- 34.9km
- 登り
- 73m
- 下り
- 108m
コースタイム
2日目:藤川宿-大平一里塚-大樹寺-岡崎宿
3日目:八丁味噌蔵-矢作橋-永安寺-来迎寺一里塚-知立松並木-慈眼寺
天候 | 1日目:晴れ 2日目:曇り/晴れ 3日目:小雨/晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
★いよいよ家康の生誕地、岡崎へ入ります。徳川家、松平家ゆかりの寺や史跡が数多く残っておりその重厚さに圧倒されます。
★特筆すべきは「大樹寺」松平8代、徳川歴代将軍位牌が安置されています。その部屋に足を踏み入れると五百数十年の時を凝縮して無言の語りかけが聞こえてくるように感じました。
★岡崎の町に入ると27曲がりが待っています。正確に歩いてみましょう!
★芽吹きの春はやさしい若草色のグラデーションで山々を包んでいます。爽やかな風の下、季節の歩みと共に足取りも軽くなるようです。
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◆淨泉寺:境内に石像百観音が安置されている 広重の画で有名なソテツがある
◆法蔵寺:徳川家菩提寺 家康が幼少の頃学問手習に励んだとされる 「御草紙掛松」は人々に親しまれてきた
*近藤勇首塚:近藤の首が三条大橋に晒されたのをみかねた同志が、三晩目にこっそりと首を持ち去り、近藤が生前敬慕していた法蔵寺の貫主のもとに運び込み、埋葬したといわれている
◆本宿:赤坂宿と藤川宿の間にある「間の宿」で旅人の休息の場として繁盛した
◆山中八幡宮:三河一向一揆の折家康が身を隠した洞窟があることから「御開運御身隠山」とも称される
◆明星院:片目不動尊 永禄5年(1562)、扇子山の戦いで敵から徳川家康に放たれた矢を見知らぬ武士が身代わりになり片目を潰し姿を消した その後、家康が明星院を訪れた際、祀られていた不動尊の姿形があの時の武士にそっくりで片目が潰れていたことから、不動尊の化身に助けられたと悟り深く感謝したと伝えられている
◆藤川宿:鎌倉時代からの古い宿場 藤の花が見事なので「藤川」と改めたという故事がある 脇本陣裏手には当時の石垣が残されておりその規模の大きさを伺い知ることができる また藤川はむらさき麦で有名 幻の麦となっていたが平成6年から復活栽培が行われており特産品が生み出されている
◆吉良道道標:東海道と南西の西尾、吉良方面へ出る道の分岐 参勤交代や助郷の出役、また三河湾からの海産物搬入路として重要な道であった
◆大岡越前守陣屋跡:名町奉行として業績をあげた大岡越前守忠相 寺社奉行を経て三河国西大平1万石を領し正式に大名となる 大岡家は代々西大平藩主として陣屋を置いた
◆岡崎城:家康生誕の地 6歳で織田信秀、8歳で今川義元の人質となり少年期を他国で過ごした 桶狭間で義元が戦死した事を契機に自立 天下統一の拠点として基礎を固めた
◆27曲がり:家康が駿府から江戸へ入った後、城主の田中吉政が10年をかけて城下防衛の為に整備した
◆八丁味噌:岡崎城から西へ八丁の八丁村で生み出された八丁味噌 風味の良さと長期保存可で携帯に便利な為三河武士の兵糧としても愛用された 大豆と塩のみを用いて大きな木桶に仕込み、代々使い続けてきた川石(玉石)を山のように積み上げて重石とし、二夏二冬以上のあいだ人の手を入れること無くだたひたすら八丁の地の気候風土の中で熟成をさせて出来上がる逸品
◆大樹寺:桶狭間で今川義元が討たれ身の危険を感じた家康は大樹寺に逃げ込み先祖の墓前で自害を決意したところを時の住職登誉上人から諭される 上人の言葉は「厭離穢土・欣求浄土」の経文 家康はこの8文字を終生座右の銘とした 家康の遺命に「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」とある事により徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されている
◆誓願寺:義経を慕うあまり菅生川に身を投じた矢作の長者の娘浄瑠璃姫、長者は姫を埋葬し十王堂を再建 義経から贈られた名笛「薄墨」と姫の鏡が安置されている
◆明治用水:矢作川から水を引き開墾を行うという計画は江戸時代に始まる 1822年の測量着手から始まり様々な計画提出、頓挫を繰り返しながら明治に入る 1879年本流の工事が始まり1890年完成 現在は暗渠化されている 灌漑面積7000ha 農業県愛知のインフラは江戸期の先見性に遡る事がわかる
◆無量壽寺:伊勢物語 主人公の男が東へ下る途中三河国八橋でかきつばたの群生を目にし「かきつばた」の5文字を句頭に、都に残してきた女性を想う歌を詠む 尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」「八橋図屏風」はこの有名な場面から発想されたという説がある
◆知立松並木:幅7m長さ500mにわたり170本の松が植えられている 測道はこの地で行われた馬市の馬を繋ぐ為のものと推察されている
◆慈眼寺:江戸時代の初期に馬の供養の為につくられたお堂から始まる 馬頭観世音菩薩を本尊とし、境内には馬塚がある また境内を取り巻くように牡丹が咲き乱れ「牡丹まつり」も開催される
コメント
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姉御っ!梅ちゃんです!
見に来て拍手送ったよ!拍手しろと脅かすから(笑)
いつも旅を面白くさせてもらってありがとうです!
来月も楽しみにしています!
その他メンバー(笑)マトリックス2にもよろしく
お伝えください!
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