街道歩き 興津から江尻宿


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 30m
- 下り
- 4m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
◆興津:
・ポトマック川の桜
・プラタナスの並木
・和菓子屋が多い 皇族に人気(宮様まんぢう)
◆水口屋:一碧楼水口屋ギャラリー 興津宿の脇本陣として宿屋経営、明治以降は政治家、皇族、財界人、小説家、画家等、別荘旅館として名をはせた
一碧楼 後藤象二郎の命名
◆清見寺:東北の蝦夷に備えてこの地に関所(清見関)が設けられ仏堂が建立されたのが始まり
・臨済宗 妙心寺派 巨鼇山(こごうざん)
・山門の先に鉄道が走っている 駿河の三代名刹
・家康が今川家にいたころここで学問をした 前庭にある臥龍梅は家康が接木したもの
・咸臨丸記念碑:明治維新 清水港で咸臨丸が明治政府の軍艦に砲撃され20余名が亡くなった その霊を憐れみ榎本武陽により記念碑が建立されたもの
・朝鮮通信使の書
・鐘楼:600年前の鋳造 秀吉韮山城攻伐の際陣用に供したもの
・五百羅漢石像 五百羅漢尊者は釈迦如来の御弟子で仏典の編纂に功績のあった方々 この像は江戸中期に仏教の興隆を祈って彫像されたもの
◆坐漁荘跡:西園寺公望晩年の旧居跡 明治の元老西園寺公望公が清見潟に臨む興津清見寺町に建てた別荘 遠くに伊豆天城連峰、眼前には三保の松原、漁船や干し網の近景が庭越しに広がる But・・実際は「興津詣で」政府要人が後を絶たなかった
元老=次期天皇を上奏する役目
◆東光寺:興津川川留により勅使等をお迎えする為に門に格子を付けた
◆江淨寺:松平信康の遺髪が供養塔
◆草薙の一里塚:43番目 道を挟んで南塚が在り一対となっていた 5間四方 高さ1間 脇に高札場 榎の大木
◆細井の松原
◆江尻宿:江尻とは巴川の尻 下流ということで巴川が造る砂州上にできた宿場 江尻の名前は地名として残るのみ 住民投票で清水となる
軍需工場が多かった為爆撃の対象となり焼失 銘菓 追分ようかん
◆江尻城跡:現在は江尻小学校 1568年駿河に攻め入った武田信玄が築城 その後穴山信君(梅雪)が本格的な城とした 関ヶ原後廃城となり歴史から姿を消す
◆魚町稲荷神社:梅雪は一村一郷に鎮守あり、一家に氏神あり、どうして一城に鎮護の神が無かろうかと言ってこの地に社殿を造営した
少年サッカー発生の地
◆稚児橋:巴川にかかる橋 1607年家康の命で架けられた
◆不動堂:真言宗延寿院の不動堂 四角のお堂に全面細かい基盤の目状の格子戸が特徴
◆上原延命子安地蔵尊:家康と穴山梅雪が密会した処 梅雪は武田をうらぎる 後に信長が倒れ家康は遁走することになる
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