記録ID: 3297467
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ハイキング
北陸
遊泉寺砂山 鉱山町跡を歩く
2021年06月23日(水) [日帰り]



- GPS
- 01:53
- 距離
- 3.8km
- 登り
- 133m
- 下り
- 133m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 1:38
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 1:54
距離 3.8km
登り 133m
下り 133m
9:50
25分
里山みらい館駐車場
10:15
5分
砂山口
10:20
10:25
30分
巨大煙突
10:55
0分
市境尾根
11:30
14分
砂山口
11:44
里山みらい館駐車場
遺構の解説を読みながらゆっくり歩きました。砂山への登りは気持ちをリセットして臨みましが、お昼前お腹が空いてフラフラしました。途中にあるベンチで休みながら登るといいです
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道は新しく、登りやすい階段が整備されています。木が繁っているので眺めを楽しむのなら晩秋から早春がよいと思います。危険な場所はありません |
その他周辺情報 | 遊泉寺銅山跡の里山みらい館はぜひ再訪したい。写真や解説パネルなどで銅山の歴史を知る展示があり、常駐のコマツOBの方からお話を聞くことができるそうです |
写真
装備
個人装備 |
500ml水筒
行動食
帽子
サングラス
日焼け止め
長袖シャツ
マスク
時計
スマートフォン
ザック8L
スニーカー
|
---|
感想
1500人が働いた遊泉寺銅山には、住宅、商店、郵便局、学校のほか、病院、浴場、ビリヤード、遊郭などもあったそうです。社員や家族、その生活を支える施設の人たち約5千人が住んだといいます。「軍艦島」で知られる炭鉱の長崎端島が人口5千200人ですから、遊泉寺銅山も、山間の僻地にもかかわらず都市生活が成立したのでしょう。富国強兵を推し進める明治時代、最先端技術を用いる鉱業の現場で働く人たちやその家族の、誇りに満ちた楽しげな顔を想像して、鉄道路線跡を歩きました。
「砂山」の名前は地理院地図にはありません。「鉱滓を捨てて出来た山」との記述もありますが、ボタ山のような高さ170mの山を形作るほどの廃棄物が出たとは思えません。「鋳型に使った砂を捨てる場所」の意味で会社が付けた通称ではないでしょうか。
当時の写真を見ると、工場から出る排煙のせいか、斜面に電柱の高さを超えるような木は生えていません。きっと、町中から砂山の頂がよく見えていたことでしょう。
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