町田七国山から野津田神社・民権資料館散策
- GPS
- 01:36
- 距離
- 4.1km
- 登り
- 95m
- 下り
- 111m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
MAMISのパンは中々おいしいが、道は少しわかりにくい。ダリア園の入口の少し先の右の小道に入り、道案内版に従って進めば丘の上にある。店の入口はやや狭いが、中で食べることもできる。またお店に行く途中の庭がとても素敵で、十分鑑賞の価値がある。 七国山の三角点の位置がわからなかったが、こころみ学園の方に向かうと七国山自然苑があるようだ。鎌倉井戸の先から鎌倉古道があり、その先で様々な道が分岐しているが、道案内がないので、枝道に入るときはコンパスやGPSなどでよく方向を確認した方がよい。 町田ボタン園の先から野津田神社に向かうときに、強引に山に上がっていく道もあるらしいが、入口には何の表示もない。私有地のように見える。神社裏には民権の森入口もあるが今回は行ってみなかった。 |
写真
感想
午前中に町田のワールドウィングのジムに体験入会のために出かけるので、その後、七国山から鎌倉古道を歩いて、自由民権資料館祭りを見学する予定を立てた。ワールドウィングとは初動負荷理論によるフィットネス・トレーニングで知られる小山裕史氏の指導に基づくトレーニングジムで、同氏が考案したマシーンを使ってみる体験入会の後、やはり同氏が考案したビモロ・シューズを試し履きして購入するなどしたため、予定より遅くなった。北口のバスステーションから一時前のバスで今井谷戸バス停で下車、最初にダリア園先の道を右折して坂を上がり、MAMIS というパン屋さんで昼食用のパンを買う。歩きながらパンを食べ、鎌倉井戸のある七国山の保護地域に入る。七国山のピークを探すも、場所の勘違いで三角点を探せず、藪の斜面を歩いて古道に戻る。その先にも枝道が多く、いくつか探索してみるが、いずれも先が藪になっている。二番目の枝道の奥は最後が少し広い場所になり、これまで見た戦国能城跡の遺構(掘割など)に似た空間があり、そのような遺構があっても不思議ではないと思われる。その後、藪に阻まれて、古道に戻る。
そのすぐ先に七国山の緑地保全地域の案内図があり、そこからロープの張られた枝道が出ている。かつて、この道に入った記憶があるので、ここで古道を離れて進んでみる。道は整備されているが、道標はなく、どこに導き出されるのかはわからないので、GPSで方向を確認すると風見鶏のお店の方向になっているようなので、そのまま進んでいく。鳥居が現れ、農家の耕作地のわきを進むと、道のない急斜面の上に舗装道があるようだ。強引に登っていくと風見鶏に前に出た。今回は民権資料館に急ぐので、店には入らず、先に進む。ボタン園の近くで南側のダート道から下に下ろうかと思ったが、今日は野津田神社経由で歩く予定だったので、思い直してボタン園の北側に回り込んで、野津田神社に向かう道を探す。予定では神社の裏山の尾根を登るつもりだったが、入口がわからず、北側を巻く道を歩くことになった。尾根は藪っぽい道と思われるが、歩けないことはなさそうだ――次回に歩くことにするーー。
やがて野津田神社が現れ、本堂に登ると裏側には「民権の森」入口があったが、今回は時間がないので次回ということに。
神社からは鎌倉街道に出て少し先で袋橋に出る旧道を進み、資料館に出る。途中、新しいスィーツのお店の店開きで行列ができていた。
資料館に着くと、祭りは終わりかけていたが、中には無料で入れるので、受付に尋ねると、中で解説会が行われているので入ってくださいと促される。中に入り、解説会の人の列の中に入る。特に石阪裕史とその関係者、自由党などに関する資料を中心に解説が行われ、最初に多摩の民権運動が発見された1960年代、色川大吉氏らによって発見された多摩の民権運動は、今日では当時のような手放しの賞賛とは異なる評価が出ているが、近代日本の政治と政治思想に大きな影響を与えたことは否定できない。展示と解説ではその中心人物の一人、石阪裕史の娘婿の北村透谷らの話などもあり、面白い話であった。解説会が終わり、バスで鶴川駅に出て帰宅の途に付いた。
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