赤岳鉱泉〜硫黄岳手前
- GPS
- 26:10
- 距離
- 16.1km
- 登り
- 1,223m
- 下り
- 1,229m
コースタイム
第2日 赤岳鉱泉9:50-10:55美濃戸11:20-12:00美濃戸口
天候 | 雨一時雷、晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
感想
<記録整理>高校2年の最も体力のあった頃、穂高への挑戦前に赤岳に登ろうと前日計画し、さらに無謀にも衝動的に硫黄岳に登ろうとして大失敗をした山行。初の幕営単独行、初の敗退。
その数日前にバイトで貯めたお金でアタックザックとテント、シュラフを購入し、穂高に向けて足慣らしも兼ねて一人で向かった。体力は有り余るほど、気力も充実されど有頂天だった。当時、気象通報を聞いて毎日書いていた天気図も、書くだけで安心し、関東地方の梅雨明け宣言を聞いた翌日に俄かに出発した。
次発の中央線で茅野へ、乗客1名のバスで美濃戸口へ向かい、柳沢北沢をハイペースで歩く。真夏の日差しが容赦なかったが、予定よりも1時間半早く赤岳鉱泉に到着した。届出をしてテント設営、通り雨の間にガイドブックを開き硫黄岳往復2時間であることを知る。山の恐ろしさも天候の変わりやすさも知らず、ナップザックに雨具、カメラを入れ、硫黄岳を目指した。すでに14時を回っていた。
急登を力任せに登って行き、森林限界を超えた頃、天候は急変した。叩きつけるような雨が横から降り、遠くから雷鳴が轟き始めたが、それでも歩みを止めなかった。そして、やがて稜線に出たときの光景を深く脳裏に刻み続けることになる。霧の中に浮かぶ岩と豪雨と稲光は、死の世界を連想させるほどおぞましく映った。
なおも濡れた岩場を進み、光と音がほぼ同時に到達したとき、鈍感な16歳は初めて恐怖を感じた。無謀極まる行動の末、一旦芽生えた死の恐怖心は、転がるように駆け降りさせた。樹林帯の中へ入ってもなおも走ることをやめず、テントに逃げ帰ってからは何もできずブルブルと震えていた。
翌朝、当然のごとく赤岳登頂はあきらめ、雲一つない晴天の下、意気消沈、下山した。途中多くの登山者とすれ違う。甲信地方の梅雨明けだった。後にも先にも敗退はこの無謀登山のみだが、その後赤岳には13年の年月を経るまで登ることはなかった。
いいねした人