三億円事件現場探訪 ランニング編
- GPS
- 01:48
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 20m
- 下り
- 19m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年12月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
昨日、12月10日は、53年前の1968年に三億円事件が発生した日でした。以前より三億円事件の現場と関係各所を訪ねてみようと考えておりましたが、今週末にそれを実施することとし、まずは事件当日に犯人が辿ったと推定されているコースをランニングしてきました。
三億円事件は1968年12月10日午前9時21分に発生した窃盗事件で、1975年に公訴時効が成立し、未解決事件となり、”20世紀最大の謎”、”昭和事件史最大のミステリー”などと称されています。現金輸送車に積まれた東京芝浦電気府中工場従業員のボーナス2億9430万7500円が、偽の白バイ隊員に奪われました。警視庁の威信をかけた捜査において、容疑者リストに載った人数は11万人、捜査した警察官延べ17万人、10億円近くの捜査費用が投じられる空前の大捜査でしたが、1975年12月10日に公訴時効が成立(時効期間7年)し、1988年12月10日に民事時効も成立(時効期間20年)しました。帝銀事件やグリコ森永事件と並び称される、日本犯罪史に名前を残す未解決事件であることは間違いありません。
自分がこの事件に非常に高い関心を持っている理由は、1969年7月生まれの自分が、両親から聞かされていた出生時のころの大ニュースは、人類の月面着陸、大阪万博、三億円事件の3つだったからです。もう一つの理由が、2005年から住んでいるのが国分寺市東恋ヶ窪であり、奪われた後に犯人によって破棄された現金の入っていたジュラルミンケースに付着していた土が東恋ヶ窪か西恋ヶ窪のものであり、犯人のアジトがここにあったのではないかとされた場所だからです。
事件当日の経緯は各写真のコメント欄に詳しく記しておきます。第4現場の小金井本町団地でジュラルミンケースから現金を抜き取ったという説(平塚刑事の単独犯説)に従い、恋ヶ窪にあったアジトに逃げ込んだとすると、事件当日の犯人は、ほぼ本日自分がランニングしたコースを辿ったと考えられます。距離にして約13km程ですので、車で急いで走ると30分から40分程度で走行が可能であったと思われます。ジュラルミンケースを第2現場で濃紺カローラに載せ替える時間や、第4現場で現金を抜き取る時間を加えても、1時間弱でアジトに逃げ込めたと考えられます。黒のセドリックの緊急配備が指令され、検問が開始されたのが29分後、第2現場で黒のセドリックが発見され、「ジュラルミンを積んだ車」に手配を切り替えたのが57分後であり、犯人は悠々と逃げおおせたことが想像できます。
自分は国分寺に20年以上居住しており、ランニングやドライブが好きであり、かなりこの地域に”敷鑑”がありますが、この犯人はそれをはるかに上回っており、相当に三多摩地区を車やバイクで走り回っていた人物だと考えられます。自分は複数犯説(2人)を支持します。
この事件には非常に多くの謎や不可解な点、悲喜こもごものドラマが含まれており、興味がつきません。ありとあらゆる推理と空想を楽しむことができる、まさに「永遠の三億円事件」なのです。それと同時に現在自分が住んでいる場所の近くでこのような大事件が発生したことが本当に驚きです。
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