裏日立アルプストレイル:鉄索遺構と金山周回
- GPS
- 05:37
- 距離
- 17.0km
- 登り
- 742m
- 下り
- 731m
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
日立アルプストレイル 裏バージョン
本日のテーマは2つ。
ひとつは、諏訪鉱山から大雄院へ伸びていた鉄索遺構を見付けること
もうひとつは、金山周辺の地形図破線ルートを辿ること
一応、2つの目的は一応達成できたと思います。
諏訪鉱山から大雄院へ伸びていた鉄索。
「鉱山と市民」(1988)の記録によれば、北の沢にある諏訪鉱山から本山の大雄院精錬所まで
鉄索により鉱石を運搬していたとのことでした。
この鉄索は1919年完成し、1960年代前半まで利用されたようです。
それ以前は人が馬に大八車を付けて鮎川沿いで山を下り下孫駅(現在の常陸多賀駅)まで運び、
鉄索廃止後はトラック輸送に切り替わり、現在はその姿は残っていません。
過去の地形図(旧版地形図)を調べたところ昭和5年修正測量の5万分の1地形図にのみ、
諏訪鉱山から大雄院精錬所まで一直線に伸びる鉄索道が記載されていました。
この情報を頼りに、今回の予定ルートと鉄索道との交点付近に遺構が無いかを調べながら進みました。
結果としては、鉄索の始点(鉱石を積む場所)と思われる場所と、
(最初の)鉄索鉄塔の遺構を見出すことができたものの、
そこから大雄院への中間鉄塔の遺構は見出すことができませんでした。
最初の遺構はコンクリート柱が残っていた御蔭で見出すことができたのですが、
それ以外はコンクリートの基礎部分のみ。
もし、柱がなければ、落ち葉などで覆い隠され見出すことができなかったでしょう。
他の鉄塔ももう少し当時の配置の情報を収集した上で見出すことが必要なようです。
(もうやらないと思いますが)
一方、金山周辺の地形図破線ルートは、概ねたどれたと思います。
ただトレイルは見えているものの新たに育った低木や倒木により
幾度となく迂回しなくてはいけない場所が多数あり難儀しました。
もう行かないかなぁ〜。
でも、この破線ルートが今も残っていたら、いい感じで周回できるのに・・・
復活できないかなぁ〜とも思っていたりします。
それからもうひとつ。
金山林道からもう1つの林道へ抜けるトレイル。
この存在価値がよくわかりませんでした。
この先に大雄院へ抜けるトレイルがあれば、
大雄院〜金山〜北の沢(旧諏訪鉱山)と繋がるルートになりそうですが、
その存在はまだ今のところ見つけていません。
大雄院から県道を本山へ少し登ったところにある金山入口というバス停。
この名前は略称で「金山隧道入口」のことではないのだろうか?というのが今のところの予想です。
金山入口というバス停と思われる場所とかみすわ山荘から少し下ったとこを繋ぐ隧道(昭和16年完成?)があり、
「鉱山と市民」によれば、宮田川の水では機械が痛むため鮎川の水を本山の硫酸工場へ導水したとのことで、
水道としては現在も動いているようです。また、この水道のため、諏訪ダムが建設されたとか。
昔は、この隧道を人が通れたそうで、40分ぐらいで隧道を抜けられたそうです。
地上を大雄院〜金山〜北の沢を繋ぐトレイルがあるとすれば、鉄索の管理道ぐらいだろうか?
今後機会があれば、大雄院側の鉄索道を確認したいと思います。
しかし、鉄索道完成より前の地図にも本日辿ったトレイルが記載されていることを考えると、
集落あるいは(炭焼き場とかの)作業場を繋ぐルートだった可能性も残ります。
赤沢銅山から日立鉱山の発展に伴い、
拡大した煙害により集落が集団移転していたこともあるようですので、
集落は既に無くなってしまったが、地図上にルートは残ったままということも考えられます。
もっと古い書物などから情報を集めてみることも必要かもしれません。
謎は深まるばかり?
本日の山行のほとんどは走れず、歩くことすらままならず。
普段何気なく走っている走れるトレイルの有り難みを改めて感じる山行にもなりました。
多謝。
コメント
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finegreenさん、こんにちは。裏ファンのkilkennyです。遅レスですみません。
金山隧道に関する「鉱山と市民」の記述、小生も読みました。入口と出口の「前山坑のずっと先の方」(諏訪側)や「牛小屋のずっと上の方」(本山側)って何処なんでしょうね?
瀬谷房之助著「地名を訪ねて」(筑波書林、1987)によれば、昔の入四間への山越えルートは現在の成沢団地や高鈴団地から高鈴山北の日立アルプスを経由するのが一般的だったようですね。写真25-40は高鈴団地ルートの一部なんでしょうかね。金山隧道ができる前、北の沢の人々は、破線の道から写真8-25を経て高鈴団地ルートで共楽館界隈に出てきたのではないでしょうか。
kilkennyさん、こんにちは。
今年もよろしくお願いします。
貴重な情報ありがとうございました。私も「前山坑のずっと先の方」と「牛小屋のずっと上の方」は、今じゃよく分からないぞ!って読んでて独りツッコミしてました。
諏訪側は、前山坑と言うからには鉱口が複数あったんでしょうね。一箇所だけ鮎川沿いにある場所しか知りませんが、もしそうなら諏訪鉱山の上側になるのかと推測しています。水道の取水場がかみすわ山荘の下にあり、かつ、ポンプ圧送じゃなく自由流下だと思いますので、その取水場から下流側にあると思いますが、丁度、隧道があると思われる山の斜面の方には民家がありますので、確認することができませんでした。人がいればお話を伺おうと思っていますが、未だそのチャンスはありません。
一方、大雄院側は金山入口バス停からの沢沿いにあるのかと思います。諏訪側より標高が低く、バス停までの場所が、大雄院側の隧道口だと考えています。
あくまで憶測ですが、大雄院側はちょっと確かめるチャンスが無いですね〜。隧道通れればいいんですが
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