兵庫100山 増位山259m〜弥高山〜広峰山 里山を味わう+α

コースタイム
◇地 図 1/25000地形図「姫路」
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
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コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所なし、時々開ける播州平野の展望は見ごたえあり。 |
写真
感想
元会員の如水さんお元気ですか。今年もCLお勧めの増位山〜弥高山〜広峰山のハイキングを楽しみました。
JR野里駅に集合、市街地を抜けてしばらく行くと東尾根ハイキングコース登山道入口、ここから山道です。しばらく行くと古墳展望台、東の山々が見渡せました。
ここから、榊原政邦夫婦の墓所〜梅林を経て、天台宗の古寺・増位山隋願寺を目指します。隋願寺は国指定の重要文化財でなかなか厳かな雰囲気、歴史愛好家も頻繁に訪れているようです。
広峰神社は大河ドラマで黒田官兵衛が取り上げられていることもあり、なかなかの人気、官兵衛にあやかったものがたくさん売っていました。
ここから山上公園へ戻り、西尾根ハイキングコースを下りました。途中、秋の広場、夏の広場、春の広場があり、その季節には花が見れるのだろうと思いました。あいにく冬の広場はありませんでした。
しばれるが寒さが続いていたが、この日は快晴。意外に賑やかなJR播但線野里駅を出発し、しばらくは住宅街を歩き、増位山登山口へ。
“里山を味わう”の副題の通り、穏やかで優しい山を落ち着いたペースで歩く。六甲山と同じ兵庫県、なのに何故だか播磨の山は播磨の風土が感じられ、どこか六甲山とは違う。穏やかというか、のんびりというか、落ち着いた里山の匂いが何故かする。
途中、CLの的確な休憩指示(30秒とか。。)で、ペース配分もきっちりと、そしてよく整備されたハイキング道を、時々眼下に開ける播州平野の美しい眺めに癒されながら、ほっこりと歩く。
CLの同僚も3名参加され、和気あいあい。途中、江戸期に姫路城主を勤めた榊原氏の夫婦墓や、少し時期には早かった梅林を愛でながら、弥高山に到着。整備された平原で昼食。
引き続き穏やかな道を1時間と少し歩き、広峰神社到着。大河ドラマ黒田官兵衛ブームに備え、官兵衛みやげや、軽食を売るスペースも用意されていたが、まだブームには至っていないのか、人はまばら。
その後、少しばかりの岩場を下り、無事下山。ほぼ予定通り14:30pmの解散となりました。とっても穏やかないい山で、心癒される一日でした。(HA)
【広峯神社(姫路市広峰山)】官兵衛の祖父・重隆の代に黒田家は備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符(おふだ)とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を蓄え、黒田家発展の基礎を築いた。現在も御師屋敷の建物が残る。京都・祇園の八坂神社は平安時代に、都を襲った疫病を治めようと、広峯神社の神を移したとされており、都大路を彩る祇園祭もそのルーツは広峯にある。
【増位山随願寺(姫路市白国)】官兵衛の叔父・黒田高友は僧となり、休夢と称して増位山の地蔵院に住んだ。和歌に秀で、秀吉に仕えたが、生母・明石氏とともに、文人官兵衛に大きな影響を与えた。 また、増位山は三木の別所長治との間でたびたび戦場となり、天正元年(1573)に別所の軍勢が寺塔をことごとく破却したが、秀吉によって再興された。(姫路市ホームページより引用)
黒田官兵衛関連小説も面白そうです。やはり司馬遼太郎『播磨灘物語』かな。
小説 吉川英治『黒田如水』講談社、1943年
坂口安吾『二流の人』筑摩書房ほか、1947年
池波正太郎『武士の紋章』新潮社、1968年
司馬遼太郎『播磨灘物語』講談社ほか、1975年
松本清張『軍師の境遇』角川書店、1987年
岳宏一郎『群雲、賎ケ岳へ』光文社、1994年、後に『軍師官兵衛 上・下』と改題、講談社
童門冬二『黒田如水』小学館、1995年
安部龍太郎『風の如く 水の如く』集英社、1996年
浜野卓也『黒田官兵衛―秀吉も一目おいた天下人の器』PHP研究所、1996年
火坂雅志『軍師の門』角川学芸出版、2008年(Wikipediaより引用)
昨年の様子、2013年01月19日(土) 増位山(259m)〜弥高山〜広峰山 里山を楽しもう+α
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-263463.html
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