記録ID: 3989474
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ハイキング
近畿
下ツ道(中街道)丸山古墳〜平城京羅城門跡
2022年02月11日(金) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:38
- 距離
- 34.0km
- 登り
- 17m
- 下り
- 40m
コースタイム
天候 | 晴時々曇り 暖かかったです |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:JR大和路線 郡山 |
コース状況/ 危険箇所等 |
コースはほぼ北に向き一直線です。 幹線道路はほとんど歩きませんが、時々車通行量が増える区間がありましたので、その区間は注意が必要です。 道標・案内は適当にあります。特に田原本町内では道路の舗装が違っていて分かりやすいです。 |
写真
十一城跡北側の水路
やがて天正四年(1576)に織田信長の家臣塙小七郎、原田備中守らに接収された。
筒井城(大和郡山市)と同様に中世大和における典型的な平城で、十市氏が鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城しました。
やがて天正四年(1576)に織田信長の家臣塙小七郎、原田備中守らに接収された。
筒井城(大和郡山市)と同様に中世大和における典型的な平城で、十市氏が鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城しました。
田原本陣屋跡の案内板
賤ヶ岳七本槍の一人として軍功を賞された平野権兵衛長泰は、文禄四年(1595)にこの地を拝領した。
二代目長勝が寛永五年(1628)に入封し、寺内町の東の寺川沿いに陣屋を築造した。
賤ヶ岳七本槍の一人として軍功を賞された平野権兵衛長泰は、文禄四年(1595)にこの地を拝領した。
二代目長勝が寛永五年(1628)に入封し、寺内町の東の寺川沿いに陣屋を築造した。
6月の第1日曜日に行われる行事です。村の男の子が主体となり、数え年の15歳〜17歳の男子が「頭(かしら)持ち」と呼ばれ、麦わらで作られた蛇の頭を村中の家に持ち込んで「おめでとう」と祝って回ります。
番条城跡(番条環濠)
佐保川東岸沿いの後背湿地を利用した長大な環濠集落で、南北に並ぶ三郭が認められる。城主居館は、北の曲輪の熊野神社辺りで、中と南が郷民集落であったと思われます。
佐保川東岸沿いの後背湿地を利用した長大な環濠集落で、南北に並ぶ三郭が認められる。城主居館は、北の曲輪の熊野神社辺りで、中と南が郷民集落であったと思われます。
感想
道は、ほぼ北に一直線で迷う心配はありません。
今回も、下ツ道(中街道)を歩くだけではなく、沿道にある
十市城跡
田原本陣屋関連
番条城跡(番条環濠集落)
に寄り道をしました。
奈良は、とにかく古い時代の名残・遺跡が多くあるようで今まで知らなかったことが多いです。
これからも奈良(大和)の古街道を歩こうと思います。
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