伊坂城(三重県四日市市)★★
- GPS
- 00:49
- 距離
- 1.6km
- 登り
- 21m
- 下り
- 21m
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
【城名】伊坂城(三重県四日市市)
【別名】ーー
【場所】四日市市伊坂町字古屋敷
【形式】平山城
【地目】山林
【立地】丘陵
【規模】130 x 650m(60 x 50m 元の主郭)
【築城】ーー
【築城者】ーー
【城主】春日部氏(伊坂氏)
【標高(比高)】83 m( 40m )
【遺構】主郭、土塁、井戸、櫓門礎石(移設)
【訪城日】2022年5月18日
【訪城時間】46分
【歴史】
城主が伊坂氏であるかどうかは不明。享徳2年(1453年)に伊坂氏の名前が文献で確認できる。『信長公記』に天正元年(1573年)の記事に「いさか」の名がある。さらに次男信雄が北伊勢を治めていた頃には多数の伊坂氏一族の名が『織田信雄分限帳』に見られる。以上伊坂城跡 櫓門礎石案内板より
『三重の山城ベスト50を歩く』記載によると、秀吉による検地にともなう兵農分離政策によって廃城となったか。なお、鈴鹿市に伊坂姓の家があるが末裔か。聞いておけばよかった。
【概要】
伊坂城は四日市市北部、朝明川北岸の尾根上に立地。室町時代に「北方一揆」という結合で結ばれ、地域支配にあたっていた。「北方一揆」は員弁川、朝明川流域の領主たちを中心に結ばれた一揆で、田光城ゆかりの梅戸氏が盟主。
城は西の尾根上にある城郭部分と東の尾根上に広がる屋敷地部分からなっていたが、高速道路の開通により主郭の南側半分のみ残存。
【アクセス】
高速道路利用の場合は東名阪四日市東ICから北方向の伊坂ダムを目指す
鉄道利用の場合は三岐鉄道平津駅から徒歩23分(1.9km)
【備考】--
【訪城記録】
時計で言うと10時から4時の方向(北西から南東)に伸びる尾根上に立地している。北西端に主郭があり南東方向に二郭、三郭と並び、尾根南東端方向に屋敷地部分が広がる。
高速道路の開通によって主郭の南半分以外は跡形も無くなってしまった。工事前に訪城しなかったことが悔やまれる。
車を伊坂ダム左岸側の駐車場に停めてレンタサイクルの建物にいた係の方に行き方を教えてもらった。
駐車場北西端あたりに道路を挟んで喫煙所になっているあずま屋がある。そこの西側に林道があり城址にはそちらから入る。
『三重の山城ベスト50を歩く』にはここから主郭南側の谷に下りて主郭まで上るというルートが示されていたが、そのルートは未確認。
少し進むとロープが張られていて行手を遮るが跨いで進む。さらに進むと二股に分岐しているが、そこを右に取る。少し進むと高速道路の法面の上に出る。左右に階段状の歩道が付けられているが、そこは右手を下る。降り切った後、今度は上る。階段を上り切ったところが南側の半分ほど残された主郭になる。
北寄り以外の残された主郭の周囲には土塁がある。南側は低くなっている。東側の二郭との間の土塁が最も高い。上ってみるとやや広い。櫓があったかも。
主郭の東寄り土塁の外側は切り立っている。主郭東側の北寄りに虎口があり、そこから二郭に続いていたようだが高速道路の法面になってしまったようで確認できなかった。
主郭南東端から南側の帯郭に降りられる踏み跡がついていて下まで降りる。帯郭の東西両端あたりに井戸跡と思われる窪みがそれぞれ一箇所ずつあった。帯郭の南側も切り立っている。
主郭に戻り西側の土塁に上る。こちらもやや広い。その西側も切り立っている。
現存の主郭中央北東寄りに城祉板が立っている。
高速道路の工事前に本格的な調査があり、その際門の跡と考えられる礎石が見つかったが、それは現在ダム湖周回コースサイクリングコース沿いに移設され説明板が立っている。
【参照・引用サイト】
『三重の山城ベスト50を歩く』
「三重の中世城館」
【見逃したもの】
工事以前の城址
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/8845183375
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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