記録ID: 434033
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ハイキング
近畿
御着〜妻鹿:黒田官兵衛の足跡と播磨低山巡り
2014年04月26日(土) [日帰り]


- GPS
- 07:00
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 667m
- 下り
- 665m
コースタイム
JR「御着」駅 9:36---9:50 大歳神社 ---9:58 御着城跡 ---10:16 壇場山古墳 ---
10:30 山之越古墳 ---10:40 播磨国分寺 ---11:01 水神社 ---
11:16 中鈴山古墳(二子山) ---11:22 天満宮 ---11:30 大歳神社 ---
11:38 元取山 ---11:54 神明社(日本廻国塔) ---11:56 太神宮 ---
12:00 印鐸神社 ---12:07 八重鉾山(東屋) 12:25---12:54 宮山古墳 ---
12:58 春日神社 ---13:03 坂元の薬師堂 ---13:27 華厳寺 13:33---
13:35 小富士山 13:45---14:10 仁寿山 14:17---14:31 姫路バイパス ---
14:33 大歳神社 ---14:47 兼田大年神社観音堂跡 14:53---15:13 荒神社 15:18---
15:33 甲山 15:40---16:00 御旅山 16:08---16:37 山陽「妻鹿」駅
10:30 山之越古墳 ---10:40 播磨国分寺 ---11:01 水神社 ---
11:16 中鈴山古墳(二子山) ---11:22 天満宮 ---11:30 大歳神社 ---
11:38 元取山 ---11:54 神明社(日本廻国塔) ---11:56 太神宮 ---
12:00 印鐸神社 ---12:07 八重鉾山(東屋) 12:25---12:54 宮山古墳 ---
12:58 春日神社 ---13:03 坂元の薬師堂 ---13:27 華厳寺 13:33---
13:35 小富士山 13:45---14:10 仁寿山 14:17---14:31 姫路バイパス ---
14:33 大歳神社 ---14:47 兼田大年神社観音堂跡 14:53---15:13 荒神社 15:18---
15:33 甲山 15:40---16:00 御旅山 16:08---16:37 山陽「妻鹿」駅
天候 | 晴れbut春霞 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
■御着城跡
御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。永正6(1519)年小寺政隆が築城、則職・政職と継承され天正6(1578)年か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜1444)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。永正6(1519)年小寺政隆が築城、則職・政職と継承され天正6(1578)年か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜1444)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
■天川橋
姫路藩が文政11(1828)年にこの地より南西200mの旧西国街道の天川に架橋した総竜山石製の太鼓橋。全長26.6m、幅4.45mで、高さは約5mで橋脚5本。印南郡石工瀬助・中右衛門の作。(中略)昭和53年10月現在地に移設保存した。(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
姫路藩が文政11(1828)年にこの地より南西200mの旧西国街道の天川に架橋した総竜山石製の太鼓橋。全長26.6m、幅4.45mで、高さは約5mで橋脚5本。印南郡石工瀬助・中右衛門の作。(中略)昭和53年10月現在地に移設保存した。(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
■山之越古墳(第三古墳)
5世紀中頃の方墳で、壇場山古墳に次ぐ首長墓とされる。(中略)石棺は明治30年に開棺調査され、獣帯鏡、鉄刀、鉄研、玉類が出土した。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
5世紀中頃の方墳で、壇場山古墳に次ぐ首長墓とされる。(中略)石棺は明治30年に開棺調査され、獣帯鏡、鉄刀、鉄研、玉類が出土した。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
■日本廻国塔
明和4年(1767)に前橋(群馬県)の休心という人物が姫路の石屋に造らせた。
かつて、願がかなうように法華経の経典(大乗妙典)を全国六十六箇所の霊場に奉納して廻ることが行われ、その巡礼を記念して銘文にしたもの。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
明和4年(1767)に前橋(群馬県)の休心という人物が姫路の石屋に造らせた。
かつて、願がかなうように法華経の経典(大乗妙典)を全国六十六箇所の霊場に奉納して廻ることが行われ、その巡礼を記念して銘文にしたもの。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
■宮山古墳
五世紀後半に築かれた直径30mの円墳で、尾根の突端部に位置している。昭和44年と47年の二度の発掘調査の結果、平行する二つの竪穴式石室の下にも一つの竪穴室があることがわかった。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
五世紀後半に築かれた直径30mの円墳で、尾根の突端部に位置している。昭和44年と47年の二度の発掘調査の結果、平行する二つの竪穴式石室の下にも一つの竪穴室があることがわかった。
(姫路市教育委員会の案内板より抜粋)
■坂元の薬師堂
宝暦12年(1762)に完成したという『播磨鑑』には、「坂ノ薬師」として「近年坂元村に有、古ヘハ坂村と云、七八十年以前ヨリ坂元村と云、国分寺七仏薬師の其の一ツ也」とある。
(姫路市教育委員会・姫路市文化財保護協会の案内板より抜粋)
宝暦12年(1762)に完成したという『播磨鑑』には、「坂ノ薬師」として「近年坂元村に有、古ヘハ坂村と云、七八十年以前ヨリ坂元村と云、国分寺七仏薬師の其の一ツ也」とある。
(姫路市教育委員会・姫路市文化財保護協会の案内板より抜粋)
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