佐志方(さしかた)城(長崎県佐世保市)

- GPS
- 01:25
- 距離
- 6.6km
- 登り
- 91m
- 下り
- 92m
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
【城名】佐志方城(長崎県佐世保市)
【別名】指方城
【場所】長崎県佐世保市指方町
【形式】山城
【地目】山林
【立地】丘陵
【標高(比高)】80mほど(80mほど)
【規模】--
【時代】不明
【築城】佐志方(指方)氏
【城主】佐志方氏(指方氏),針尾三郎左衛門
【遺構他】石積み、堀切、郭
【訪城日】2022年10月20日
【訪城時間】1時間25分58秒 ※ハウステンボス発着
【備考】--
【概要】佐志方(指方)氏は平安時代から戦国末期まで続いた一族。戦国時代には、大村氏、後藤氏ついで平戸松浦氏に属したという。 元亀3年(1572年)佐志方城代であった針尾三郎左衛門が大村氏に寝返ったため、平戸松浦隆信・鎮信父子は佐志方城を攻めたが、三郎左衛門は佐志方城に籠城し退けたという。
佐志方城は針尾島の東部、北へ向かって突き出した丘陵頂部にあり、 南の龍岩城、上村城とともに指方城郭群と呼ばれる一連の城砦の一つということである。(以上城郭放浪記さんのページ参照です)
【訪城記録】県道213号線?を北上する。左手上方に鳥居が見えて道がついていたのでそこを登る。鳥居を過ぎたところから道はあれ気味。少し上ると石仏が6、7体並んで祀られているところがありそこまでは道はついていたが、そこから土砂崩れで道がなくなってしまったのかどうしたのかわからないが、完全に道はなくなり木につかまりながら上へ上へと上る。
頂上近くで石積が現れる。そこが主郭の北端にあたる。南向いて歩く。南端に櫓台のような高まりがありそこから東沿いに帯曲輪のような地形が確認できた。櫓台から南の方角にも傾斜はあるもののなだらかな平坦地がある。もう一度主郭北側に戻る。ネット情報では北側に堀切があるとあったので探してみる。そう思うと堀切に見えなくもないような地形は確認できたが、これまで見てきた堀切とは全然違う。先程の石積のもう少し北よりあるいは西南にももう少し大掛かりな石積が確認できた。その辺が最も写真写りが良さそうなポイントとなるようである。
帰りは同じところからとても降りられそうになかったので、ネット情報にあったルートを探す。主郭西側あたりから踏み跡のようなものがあったので、そこをたどっていくとネット情報にあった尾根伝いの道のようであった。下に建物の屋根が見えてきたのでこのままいけばどこかには出られそうだと思う。また下から祭囃子が聞こえてきたのでそれにも勇気づけられた。
尾根をそのまま進むと切り通しのような舗装路に出た。ネット情報には「現在は墓地へ至る切り通しが南側にある。」とあったがこの道がそうであるかどうかよくわからなかった。
右手に墓地があり右か左かどちらに進もうか迷うが、墓のある右手に進む(左手が近道だった)。すぐに道に突き当たり、先程の県道213号線に出るのではないかと思ってそのまま進む。前の方から先程の祭囃子が聞こえてくる。このままいけばさっきほどの県道213号線に出るのではないかと思ってそのまま進む。墓地のあるところを右に進んだすぐそこに御堂があった。これがネット情報であった御堂だとわかる。やはりここから登るのが最も良かったようである。
御堂のあたりにも平坦地があるとのことであったが確認できなかった。
前の方から先ほどの祭囃子が聞こえてくる。見ると先頭に細長い鮮やかな何種類かの色の布を垂らした木を捧げ持ち、その後に昔の貴族のようなあるいは神官のような衣装を着た人が続き、さらに神輿が続く行列が見えた。見守っていたおばあさんに聞くと八幡さんの祭りのようであった。そのまま道を進むと先ほど上方に鳥居が見えていた道に出たのでそのまま戻る。
ネット情報によると主郭は南北二段に分かれ、東側に帯曲輪あり、南下に一段の削平地があるとのことであった。大体は確認できたが細かいところは確認できなかった。堀切あるいは堀切状の地形があるとあったがそれもはっきりしなかった。
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/9829855791
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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