福岡城(福岡県福岡市)


- GPS
- 01:14
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 11m
- 下り
- 11m
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
このエリアは城のからめてに相当し、敵からの来襲を防ぐことを主眼に置いた場所です。そのため、このエリアと頭上の多聞櫓の二段構えで城内に侵入する敵群を襲撃できる構造になっていました。戦の絶えた江戸時代、ここでは椿などの植物を育てており、樹木所と呼ばれるようになります。
江戸時代幕府が命じた江戸城や名古屋城の天下普請に全国の大名は従いましたが、この場所で栽培された椿も、幕府に献上されたと言われています。
築城当時の位置に現存する多聞櫓(国指定重要文化財)は、城の南方に位置した南二の丸に建っています。南二の丸は出入り口が1つのみで、二の丸全体の中で独立した区画となっており、城の南方の防衛を担っていました。
二の丸から本丸へ上る地点には、櫓門形式の重厚な作りの本丸表御門がありました。黒田家の菩提寺である崇福寺の山門として、大正7年(1918)に移築され、現在もその遺構を見ることができます。日常的に使用される裏御門に対して、表御門は特別な日に使用されました。
東二の丸から西二の丸回続く地点に、扇坂御門と呼ばれる門がありました。絵図からこの門の前には文字どおり扇形の階段があったこともわかっています。扇形の階段は、全国の城の中でも珍しい事例です。
東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門です。門を入ると右手に直角に曲がる階段があり、攻め手が簡単に攻められない構造になっています。三の丸には黒田二十四騎と呼ばれる重臣たちの屋敷がありました。。
福岡城は、福岡藩初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601)から7年をかけて築かれました。城内への門は、堀に架かる3つの橋、上之橋(かみのはし)・下之橋(しものはし)・追廻橋(おいまわしはし)にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門がここ下之橋御門(下の橋大手門)です。
現在の門は文化2年(1805)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。平成12年(2000)に不審火によって被災したため、復旧に向けた調査研究を行い、同20年に二重櫓門として復元しました。
門の上層部は、部材に残る痕跡・発掘調査成果・絵図・文献資料等により、その規模、北側の下屋(げや)の様子、柱の立つ位置、外壁の漆喰壁などが明らかになりました。また直接の資料を欠く部分は、上之橋御門(上の橋大手門)の古写真や本丸表御門(現・崇福寺山門)などを参考にしました。
この復元は専門家で構成する「福岡城跡建造物等復元整備検討委員会)で検討されたものです。これとは異なった復元案も提案されましたが、現段階でより蓋然性が高いと判断された本案が採用されました。
例年の見頃:牡丹4月中旬から下旬、芍薬5月上旬から中旬
この門は母里太兵衛友信(1556-1615)の屋敷の門として現在の天神2丁目にあったもので、昭和40年(1965)にこの場所に移築されました。
母里太兵衛は黒田二十四騎の1人で、筑前入国後、領内の支城の1つで、現在の大隈城主になりました。福島正則から名槍日本号を飲み取った逸話は筑前今様(黒田節)で有名です。長屋門とは邸の周囲の長屋と門が一体化した形式で、この門は江戸時代の武家屋敷の長屋門の形態を良好に留めており、昭和31年(1956)県指定文化財に指定されています。
感想
【城名】福岡城(福岡県福岡市)
【別名】舞鶴城
【場所】福岡市中央区城内
【形式】平山城
【地目】公園(舞鶴公園)
【立地】ーー
【標高(比高)】6m(ーm)
【規模】--
【時代】江戸時代(慶長6年・1601年)
【築城】黒田長政
【城主】黒田長政以下黒田氏
【遺構他】櫓、門、石垣、土塁、堀、郭、石碑
【訪城日】2022年10月21日
【訪城時間】1時間14分31秒
【備考】--
【概要】
江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政が、警固村福崎の丘陵地に築いた城である。以降、明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。築城の際に、黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福崎を「福岡」と改めた。城地となった警固村福崎は、古くから商人の町として栄えていた博多の西側に位置する。
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、南二の丸多聞櫓に続く北隅(角)櫓が復元されている。
【訪城記録】
博多駅近くのキャナルシティから西に3.5キロほど走って福岡城を訪れる。現存あるいは再移築されているのは南西端にある多聞櫓の他、祈念櫓、伝潮見櫓、本丸表御門櫓だけのようである。多聞櫓は北角櫓、西平櫓、西角櫓が連結されたものである。多聞櫓から桐ノ木坂を登って天守台に進む。残念ながら大掛かりな保存工事がなされていて天守台には上がれなかったが、ここは現在は展望台となっていて福岡の町や博多湾が一望できるようである。
天守台から北方向に進み裏御門、表御門と進み、扇坂を下って東御門から平和台陸上競技場に突き当たり、北西方向に向かう。競技場の西端から道路を挟んだところに旧母里(ぼり、またはもり)太兵衛邸長屋門が見えた。そこから少し北に進むと(伝)潮見櫓とそれに隣接する下之橋御門が現れる。今日見た中では多聞櫓に次ぐあるいはそれに匹敵する立派な建造物であった。
最後に黒田如水隠居地跡の前を通ってキャナルシティに戻る。
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/9829855966
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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