11月6日(日)群馬県の遺跡と博物館を巡る


- GPS
- 16:00
- 距離
- 26.4km
- 登り
- 79m
- 下り
- 82m
コースタイム
天候 | 貼れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
昨夜、安土から戻り、疲れていたが今日は午後から群馬県立歴博で上野三碑の時代展と講演会があるので、前々日の残りで朝食を済ませ、7時前に自宅を出て高崎へ。午前中は高崎市観音塚考古資料館に立ち寄る予定だったが、大宮からの新幹線の中で高崎からのバスを再チェックすると、なんと予定バスは平日のみ、タクシーにするかどうか調べ、最寄りの群馬八幡駅にレンタサイクルがあることを確かめ、電話で確認して群馬八幡へ。まず上野国一ノ宮の八幡(やわた)八幡宮神社に出る。ここから予定を組み直し、先に八幡二子山古墳、平塚古墳、観音塚古墳を巡ってから資料館に向かう。資料館開館時間9時になり、資料館に入る。ヤマト王権にとり、5世紀末から6世紀前半は、その列島における優位性を確保するうえで重要な時期だった。吉備や北部九州勢力などの西日本勢力はどちらかというと王権を支える以上にライバル関係にあり、、雄略の後継体大王が磐井の平定し、大王権の優越性を主張したころ、特に王権に忠誠であった東国との関係を深めた時期であった。6世紀前半の上毛野の状況を見ると盟主である七興山古墳は、継体の今城塚古墳、その支援者である尾張氏の断夫山古墳についで列島三番目の規模を持つ。その時期の群馬の古墳の副葬品からは「ねじり環頭太刀」、馬具、埴輪など継体朝との親密さをアピールするような副葬品も出ていて、全国支配に向けての東国の拠点としての地位を確立する過程にあった。
またこの時期の横穴式石室の展開、三ッ寺遺跡、原之城遺跡などの豪族居館の出現
など、古墳時代後期の列島におけるこの地域の役割の重要性を感じる企画展だった。資料館を出て、時間があるのでかみつけの里に向かう。資料館を出て10号線を進むと、かつて訪問した若宮古墳群のある高崎市営八幡霊園の左に見て、さらに右に目立つ古墳があり、立ち寄ると数年前に行ったことのある剣崎西古墳であった。こんな位置関係だったのか、と位置関係を確認。さらに進んで烏山川を越え、26号線からかみつけの里に向かったが、あるいは10号線をそのまま進むほうが近かったか?ママチャリでの登りを我慢して進み、北陸新幹線の手前で右折して幟が少し緩み、なんとかかみつけの里の保渡田古墳群が見えてきてかみつけの里博物館に到着した。
途中自転車のナビを使うとなぜか急速にスマホの電源が急速に落ち、危うい状況になった。どうも容量がいっぱいになっているようだ。今日はいつも携帯する充電器を別のバックに入れたまま忘れ、ピンチ。博物館に尋ねたがやはり充電は無理、展示を見てからあきらめて極力電源を消費しないようナビは最小限に使ってなんとか群馬八幡駅に戻る。
それから高崎駅に戻って駅ビルのフードコートで讃岐うどんでエネルギー補給、倉賀野駅に出てここでもチャリを借り、群馬県立歴博までなんとかスマホを持たせた。ここで切れたが、帰りは道を覚えたので何とかなりそう。特別展の世界記憶遺産5周年記念の「上野三碑の時代」の展示を見て、午後から関連講演会、「上野三碑時代の製鉄」に関する講演を聴講する。列島で本格的な製鉄がいつどこで始まったのかは諸説あるが、東国に関しての最近の研究ではこの上野国にいち早く箱型製鉄炉が出現したというのが今回の展示の主題。この東国の製鉄の起源は近江の製鉄技術らしいが、王権が東国開発を重視し、その先の東北への進出を構想していたことが理解できる展示構成だった。
上野国古代の鉄道づくりー太田市八王子丘陵西側に七世紀後半の大型箱形炉による鍛冶関連遺構を発見、同市峰山遺跡でも大型箱形炉三基と、鍛冶工房一基を発見している。製鉄から鉄製品生産まで行っていた。前橋市三ケ尻西遺跡は七世紀半ばに操業した東日本最古の製鉄遺跡か?東日本最古の大型箱形炉二基、鍛冶工房を含む竪穴建12軒を発見している。これまで日本列島における製鉄がいつ始まったのかは様々な説が出され、弥生時代に遡る説も出されていたが、炭素年代測定で8世紀が出ていて、弥生時代の製鉄は可能性が低くなっている。現在、東日本で最古の製鉄遺跡は太田市の三ヶ尻西遺跡の可能性が高いようだ。またこの背景にはヤマト王権と東谷の上毛野との緊密な関係があり、さらに東北進出の拠点として、馬匹生産、製鐵などの重要性を意識したものと思われる。この特別展は、上野三碑の「世界記憶」遺産登録5周年記念として開催され、関連遺跡を含め、最新の発掘、研究成果に基づく展示がなされ、分厚い図録もあり、見どころ満載の展示であった。
講演会では群馬県文化財保護課の笹澤康史氏が、上野三碑時代の製鉄に関して、また同時代の列島最大規模の「新田郡家跡」の調査に関して太田市教育委員会の中村渉氏が講演を行った。列島各地の製鉄遺跡や鍛冶関連遺跡に関しては様々な新しい発掘調査、研究が積み重ねられており、最終的に出雲地域と東北地域に製鉄の中心が集中するまでの過程が次第に明らかにされつつある。そうした調査研究の過程の一端を知ることができた。
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