北八甲田 大岳(東北大生遭難地を訪ねて)

コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2004年05月の天気図 |
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写真
感想
前から東北大生の遭難地を案内してもらうことをお願いしていたところ快く引き受けてくれた石塚さんとの山行となる。八戸から直行してくれた石塚さんの案内で遭難地ヘ向う。すいれん沼のほぼ北に1キロ、標高1015m付近の涸沢で沢の狭まったところであった。ここの東側対岸に慰霊の墓標が立てられていた。石塚さんが涸沢を遡行した時に拾ったストックで、その春に遭難のあったことを思い出し遺品として遺族に送られたとの事。そのことが機縁となり、沢の石を運び上げ墓石とし、ヒバの角柱に「池田智君終焉之の地」と墨書した墓標を立て慰霊してきたとの話に感心してしまった。ご遺族も毎年慰霊に来られ10年目には盛大に慰霊祭を行なったとの事。現場は、猿倉コースの33番が付いていたところとの事。傍の雪を切り出し、花、果物、ビールを供えて全員で焼香して霊を慰めると共に、山行の安全を肝に銘じた。
事故は、昭和63年5月2日、仙人岱から猿倉温泉に向かう猿倉コースを滑降した途中の出来事だった。彼は同大のスキー仲間5人と朝早く仙人岱避難小屋を発ち猿倉温泉入り口ヘ向う予定だったのだ。沢の中に雪の穴を確認した先頭が危険を感じてストップをかけたが彼は沢の急斜面を滑り落ちるようにして雪解けで開いた穴に落ちてしまった。手をかけて引き揚げようとしたがままならず雪の下に引きずり込まれてしまったとの事。ちょうど今日が命日であったのだ。
慰霊のあと、仙人岱避難小屋から小岳との鞍部に行きツエルトを張り昼食とする。昼食後大岳に直登したが山頂は風が強いので即下山。スノーシューの三人には、危険なのでツボ足で下山してもらう。小岳を変更して、硫黄岳経由ですいれん沼へ下山。
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