記録ID: 50086
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キャンプ等、その他
中央アルプス
中山道(木曽谷) 馬篭〜妻籠
2009年10月30日(金) [日帰り]
sptaka
その他1人
- GPS
- 06:00
- 距離
- 16.4km
- 登り
- 509m
- 下り
- 424m
コースタイム
中津川1130〜落合宿1230〜十曲峠1300〜馬籠宿1400〜馬籠峠1530〜妻籠宿1630〜JR南木曽1730
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年10月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
09秋、中山道ウォーキングその1.馬籠宿と妻籠宿 京から江戸方向へ 中津川宿は街中がごちゃごちゃしていて旧道よく分からず。 落合宿は、歩道がリニューアルされて感じがいい。その後石畳。 馬籠宿は島崎藤村の生まれたところで、藤村ブームになっている。恵那山が最も近くに大きく見える。 馬籠峠は800m。300m足らずの中津川の宿から登山でもないのに、延々500mもよくぞ登ってきたもんだ。 4年前までは、十曲峠(馬籠宿手前)が長野岐阜の県境で、長野は木曽郡の山口村(馬籠はここにあった)だったが、小泉純一郎の平成大合併で、そこは岐阜県中津川市に併合されて、馬籠は岐阜県に移転、妻籠はそのまま長野県南木曽町として残った。これは400年前の戦国時代の時に戻ったということらしい。なのだが、馬籠を木曽といわずに、美濃といっても大いに違和感がある。そのために、馬籠は岐阜県なのだが、木曽という、偏屈なものの言い方になってしまった。 馬籠峠からどんどん下ると妻籠になる。さらに下ってJRの南木曽(なぎそ)からJR利用で、デポ回収。本日は恵那宿泊。 |
写真
撮影機器:
感想
馬籠で島崎藤村の「夜明け前」と言われても、なんだか難しいよ。江戸時代は山に自由に入れてよかったという話だ。落ち葉、落ち枝を拾って、山は山人にとって燃料をもたらせてくれたということだ。明治政府になって、文明開化になったのだが、政府は木曽の民に「山へ入ってはいけない」と言い出した。薪を拾うなんていうのは、山をきれいにすると同時に、山からエネルギーの恵みをもらうのに、政府はそれもだめだといい、木曽は明治になって貧乏になってしまったという話だ。ことの本質は今と同じで、官僚主義は、民間がどんなに貧乏になっても、連中は民間を食い物にしてぬくぬく育つ。ために自民党は破れて民主党の時代になった。明治以降の日本は、官僚主義になって、徳川の時代よりも地方は締め付けられていい迷惑しているというのが、小説「夜明け前」の私なりの解釈であり、小説を熟読してこれを裏付けるなんて、もう時間がない。紅葉ブームの最後に、馬籠は平日だっていうのに相当混んでいて、藤村ブームはいいのだが、それをちゃんと理解している人は少ない。太宰治にしてもおんなじなんだけど。
中山道の木曽はどうしようもなく山の中だと、それを改めて理解した。中津川から南木曽まで15キロ程度だったが、半日で歩いても大いに疲れた。
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