埼玉高速鉄道・川口元郷駅から出発
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4/22 12:59
埼玉高速鉄道・川口元郷駅から出発
122号線を歩くこと10分ほど、大正12年(1923)建設の旧田中家住宅前を通過
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4/22 13:08
122号線を歩くこと10分ほど、大正12年(1923)建設の旧田中家住宅前を通過
開山は寛正元年(1460)とも文明18年(1486)ともいわれる薬林寺に立寄り
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4/22 13:18
開山は寛正元年(1460)とも文明18年(1486)ともいわれる薬林寺に立寄り
境内には「川口三薬師」のひとつに数えられる薬師堂も
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4/22 13:18
境内には「川口三薬師」のひとつに数えられる薬師堂も
122号線に戻ると薬林寺入口に元禄15年(1702)造立の庚申塔
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4/22 13:24
122号線に戻ると薬林寺入口に元禄15年(1702)造立の庚申塔
隣の赤いお堂の中には・・・?
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4/22 13:25
隣の赤いお堂の中には・・・?
この先、南鳩ヶ谷駅前の交差点を右に入り
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4/22 13:41
この先、南鳩ヶ谷駅前の交差点を右に入り
実正寺に立寄り。開山は不詳ながら、中興第一世の僧宥賢は弘治2年(1556)入寂といわれる
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4/22 13:47
実正寺に立寄り。開山は不詳ながら、中興第一世の僧宥賢は弘治2年(1556)入寂といわれる
山門を入った左奥には石塔石仏が並ぶ。ん?トトロ稲荷大明神?
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4/22 13:48
山門を入った左奥には石塔石仏が並ぶ。ん?トトロ稲荷大明神?
有形民俗文化財指定の阿弥陀庚申塔。寛文5年(1665)の造立
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4/22 13:49
有形民俗文化財指定の阿弥陀庚申塔。寛文5年(1665)の造立
鳩ヶ谷大橋で新芝川を渡り
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4/22 14:04
鳩ヶ谷大橋で新芝川を渡り
鳩ヶ谷発電所前に差し掛かると
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4/22 14:08
鳩ヶ谷発電所前に差し掛かると
植込みの中に松原晴嵐碑。以前は川口宿から鳩ヶ谷宿まで松や杉の並木が続いていたという
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4/22 14:08
植込みの中に松原晴嵐碑。以前は川口宿から鳩ヶ谷宿まで松や杉の並木が続いていたという
発電所前の交差点を斜め右の県道105号線に入り、三ツ和T字路を400mほどの源永寺へ
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4/22 14:29
発電所前の交差点を斜め右の県道105号線に入り、三ツ和T字路を400mほどの源永寺へ
境内に二基の板碑が増らびます。右は建武5年(1338)、左は貞和4年(1348)の造立
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4/22 14:29
境内に二基の板碑が増らびます。右は建武5年(1338)、左は貞和4年(1348)の造立
県道105号を北進、県道34号線を渡ると「紀伊殿鷹場定杭跡」の案内板がありました
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4/22 14:43
県道105号を北進、県道34号線を渡ると「紀伊殿鷹場定杭跡」の案内板がありました
詳細はこちら
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4/22 14:44
詳細はこちら
その先右側にどっしりとした古民家。信号脇の吉田燃料店の角には「とんぼ橋の石材」が
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4/22 14:46
その先右側にどっしりとした古民家。信号脇の吉田燃料店の角には「とんぼ橋の石材」が
この石材には「延寶5年(1677)武州下足立郡鳩ヶ谷町とんぼ橋」と刻まれています
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4/22 14:47
この石材には「延寶5年(1677)武州下足立郡鳩ヶ谷町とんぼ橋」と刻まれています
吹上橋で見沼代用水東縁を渡ります
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4/22 14:55
吹上橋で見沼代用水東縁を渡ります
見沼代用水は享保13年(1728)完成の農業用水で行田市下中条の利根川から水を引いているとか
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4/22 14:56
見沼代用水は享保13年(1728)完成の農業用水で行田市下中条の利根川から水を引いているとか
吹上橋の両端には榎が植えられた一里塚もあったようです
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4/22 14:57
吹上橋の両端には榎が植えられた一里塚もあったようです
すぐ先を左へ宮道に入りました
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4/22 14:58
すぐ先を左へ宮道に入りました
朱色の鳥居をくぐり参道を進むと
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4/22 15:00
朱色の鳥居をくぐり参道を進むと
氷川神社に到着。創建は応永元年(1394)。慶長5年(1600)には家康が奥州出陣の際、ここで休息したとか
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4/22 15:01
氷川神社に到着。創建は応永元年(1394)。慶長5年(1600)には家康が奥州出陣の際、ここで休息したとか
レッズ本拠地も間近、狛犬もサッカーファン?
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4/22 15:02
レッズ本拠地も間近、狛犬もサッカーファン?
こちらは少年サッカーファン?玉を抱えた子連れの狛犬ですね
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4/22 15:02
こちらは少年サッカーファン?玉を抱えた子連れの狛犬ですね
境内には江戸時代後期の須賀神社神輿も展示されていました
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4/22 15:08
境内には江戸時代後期の須賀神社神輿も展示されていました
氷川神社から街道に戻ると本陣・問屋場跡の藤屋。北側に案内板があります
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4/22 15:11
氷川神社から街道に戻ると本陣・問屋場跡の藤屋。北側に案内板があります
すぐ先の北西酒店は2階建ての趣ある古民家
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4/22 15:14
すぐ先の北西酒店は2階建ての趣ある古民家
TAKEYAを右に入る小道は日光街道の草加とつなぐ草加道
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4/22 15:14
TAKEYAを右に入る小道は日光街道の草加とつなぐ草加道
市場杭跡。4本あった三八市の市場杭は開催日毎の出店範囲を示していたとか
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4/22 15:17
市場杭跡。4本あった三八市の市場杭は開催日毎の出店範囲を示していたとか
郷土資料館(入館料\100)にも立寄り。触れる/体験できる展示が多く、とても楽しめます
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4/22 15:18
郷土資料館(入館料\100)にも立寄り。触れる/体験できる展示が多く、とても楽しめます
街道沿いの小さな神社は市神社。毎月三と八の日に開かれた三八市の御祭神だそうです
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4/22 15:52
街道沿いの小さな神社は市神社。毎月三と八の日に開かれた三八市の御祭神だそうです
りそな銀行の角を左に入り、法性寺に向かいます
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4/22 15:55
りそな銀行の角を左に入り、法性寺に向かいます
墓地脇の道を抜けると階段の上には室町時代建造といわれる山門が
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4/22 15:59
墓地脇の道を抜けると階段の上には室町時代建造といわれる山門が
法性寺は文明8年(1476)に太田道灌が創立した廃寺跡に、明応7年(1498)震龍禅師よって再興されたとか
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4/22 16:04
法性寺は文明8年(1476)に太田道灌が創立した廃寺跡に、明応7年(1498)震龍禅師よって再興されたとか
山門裏には石塔石仏が並び
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4/22 15:59
山門裏には石塔石仏が並び
山門右手裏側には三基の石塔
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4/22 16:02
山門右手裏側には三基の石塔
中央の庚申塔は文化14年(1817)の造立。ドクロの首輪をした青面金剛がショケラを掴んでいます
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4/22 16:02
中央の庚申塔は文化14年(1817)の造立。ドクロの首輪をした青面金剛がショケラを掴んでいます
街道に戻り300mほど、地蔵院にも立寄り
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4/22 16:15
街道に戻り300mほど、地蔵院にも立寄り
道路沿いの道標と記された石塔は 文政5(1822)のもので、右側面に「従是 右こしかや道」と刻まれています
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4/22 16:15
道路沿いの道標と記された石塔は 文政5(1822)のもので、右側面に「従是 右こしかや道」と刻まれています
交差点から100mほどで立派な山門前に
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4/22 16:18
交差点から100mほどで立派な山門前に
山門左側に庚申塔が一基。正徳6年(1716)のもの
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4/22 16:18
山門左側に庚申塔が一基。正徳6年(1716)のもの
山門前にはこんな看板も。お寺がプロレスの興行主?
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4/22 16:18
山門前にはこんな看板も。お寺がプロレスの興行主?
地蔵院の創建年代は不明。公式サイトでは「平安時代よりの長い歴史を持つ寺院」とされています
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4/22 16:19
地蔵院の創建年代は不明。公式サイトでは「平安時代よりの長い歴史を持つ寺院」とされています
参道右側には正徳元年(1711)造立の良縁地蔵。傍らには良縁地蔵の昔話も書かれています
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4/22 16:19
参道右側には正徳元年(1711)造立の良縁地蔵。傍らには良縁地蔵の昔話も書かれています
新井宿に入ると街道右側に子日神社。旧東新井宿村の鎮守で腰から下の病、特に足の神として信仰されたとか
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4/22 16:47
新井宿に入ると街道右側に子日神社。旧東新井宿村の鎮守で腰から下の病、特に足の神として信仰されたとか
その先に、古民家を載せたような3階建てのコンビニが面白い
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4/22 16:48
その先に、古民家を載せたような3階建てのコンビニが面白い
首都高川口線の高架をくぐり、外環自動車道の高架下の歩道橋を渡ります
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4/22 17:02
首都高川口線の高架をくぐり、外環自動車道の高架下の歩道橋を渡ります
すぐ先の真乗院へ。創建年代は不明ですが、享保13年(1728)に8代将軍吉宗日光社参の際の休憩所になったとか
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4/22 17:05
すぐ先の真乗院へ。創建年代は不明ですが、享保13年(1728)に8代将軍吉宗日光社参の際の休憩所になったとか
境内左手の六地蔵の横、雨よけの下に7基の石塔が並びます
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4/22 17:07
境内左手の六地蔵の横、雨よけの下に7基の石塔が並びます
右端は道標を兼ねた元文2年(1737)の地蔵菩薩像で、台座右側面には東 江戸あさ草道の文字が
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4/22 17:07
右端は道標を兼ねた元文2年(1737)の地蔵菩薩像で、台座右側面には東 江戸あさ草道の文字が
境内中央の古木の下には、まっくろくろすけもお住いのようでした
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4/22 17:09
境内中央の古木の下には、まっくろくろすけもお住いのようでした
街道を進み、女郎仏の妙延寺に向かいます。新町交差点を左折すると増田屋酒店
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4/22 17:22
街道を進み、女郎仏の妙延寺に向かいます。新町交差点を左折すると増田屋酒店
その入口横には大きなツキノワグマの杉玉が。その大きさとクオリティにびっくり
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4/22 17:22
その入口横には大きなツキノワグマの杉玉が。その大きさとクオリティにびっくり
妙延寺入口には女郎仏入口の石碑。そっちがメイン?
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4/22 17:25
妙延寺入口には女郎仏入口の石碑。そっちがメイン?
女郎仏が、言宗智山派妙延寺として正式に認証されたのは昭和28年(1953)のこととか
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4/22 17:27
女郎仏が、言宗智山派妙延寺として正式に認証されたのは昭和28年(1953)のこととか
お堂の前にはこんな絵馬が置かれていました
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4/22 17:28
お堂の前にはこんな絵馬が置かれていました
街道沿いの一里塚ポケットパーク。案内板はありませんが、戸塚一里塚跡だそうです
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4/22 17:45
街道沿いの一里塚ポケットパーク。案内板はありませんが、戸塚一里塚跡だそうです
最後の立寄り地は紅葉のお寺・本行寺。永正2年(1505)の開山で、樹齢1000年の大山紅葉があったそうです
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4/22 17:57
最後の立寄り地は紅葉のお寺・本行寺。永正2年(1505)の開山で、樹齢1000年の大山紅葉があったそうです
元禄2年(1689)、芭蕉は旅の途中この紅葉を知って立寄り「尊かるなみたや染めて散る紅葉」の句を残したとか
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4/22 17:57
元禄2年(1689)、芭蕉は旅の途中この紅葉を知って立寄り「尊かるなみたや染めて散る紅葉」の句を残したとか
句碑は残されていますが、大山紅葉は昭和20年3月の空襲の被害を受け枯れてしまったとか
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4/22 17:58
句碑は残されていますが、大山紅葉は昭和20年3月の空襲の被害を受け枯れてしまったとか
本行寺からは一目散に東川口駅に向かい、打上げ会場探しに奔走しました
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4/22 18:05
本行寺からは一目散に東川口駅に向かい、打上げ会場探しに奔走しました
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