清州城(愛知県清州市)



- GPS
- 03:14
- 距離
- 3.9km
- 登り
- 2m
- 下り
- 2m
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
清洲公園に立っています。信長像は1936年(昭和11年)桶狭間の戦いにここ清洲城を出陣する姿をイメージして作られました。濃姫像は1992年(平成4年)作られたものとのことです。
感想
【城名】清洲城(愛知県清須市)
【別名】清須城
【場所】愛知県清須市清須字古城
【形式】平城
【地目】公園
【立地】ーー
【標高(比高)】4m(-m)
【規模】ーーxーーm
【時代】応永2年(1405年)〜慶長14年(1609年)
【築城】斯波義重、織田信雄
【城主】斯波氏、織田氏、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直
【遺構他】石垣
【訪城日】2023年5月14日
【訪城時間】3時間14分20秒(あいち朝日遺跡ミュージアム見学時間を含む)
【備考】ーー
【概要】本来の城址は五条川西岸の清洲公園ですが、対岸に模擬天守が建っています。史実としては天守はなかったとのことです
【歴史】尾張守護の斯波氏から始まる。弘治元年(1555年)織田信長入城し、ここから桶狭間の戦いに出陣。本能寺の変後織田信雄が城主となる。関ヶ原の合戦後松平忠吉没後最後の城主徳川義直が城主となるが慶長15年(1610年)いわゆる「清州越し」で義直が名古屋城に移ったため廃城となる。その後江戸幕府、明治以降の政府によって管理されてきたが、大正11年信長公顕彰を記念して清洲公園として整備された。
平成元年本来の城址と五条川を挟んだ東側に模擬天守が建てられた。
また、名古屋城西北隅は清洲城の材料を再利用したとされ清洲櫓とも呼ばれている。
【資料】ーー
【訪城記録】休みを取って清洲公園、清洲古城跡公園、模擬天守、それに足を伸ばしてセット券として買ったあいち朝日遺跡ミュージアムも見学してきました。
城跡と模擬天守は五条川を挟んでいるためやや複雑です。模擬天守は何をモデルにしたのかはわかりませんが、平成元年に建てられたということなので、岐阜の墨俣城同様竹下登総理のふるさと創生事業として交付された1億円を使って建てられたのでしょうか。
模擬天守内はビデオ映像を多用した展示施設となっており、とても1時間程度では見学できません。
展望台からは名古屋城が望見できるそうですが、肉眼では見えませんでした。双眼鏡を持っていけばよかった。
ついでにあいち朝日遺跡ミュージアムにも足を伸ばしました。環壕集落だったので城跡としても差し支えないかもわかりません。
正直そんなに期待はしていなかったのですが、ミュージアムに隣接した貝塚交流館に展示されていた遺跡から発掘された2体の人骨はわざわざレプリカではないと表示されていて、生々しくショッキングでした。見学の小学生たちは恐怖のあまりおねしょしてしまうのではといらない心配をしました。なんとなれば今日一番の見ものだったとも。
【見残し】模擬天守最上階からの名古屋城
▼ガーミン軌跡
https://connect.garmin.com/modern/activity/11133523281
▼これまでの訪城記録
http://nack1003.livedoor.blog/archives/6463470.html
▼攻城団
https://kojodan.jp/profile/11671/
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